福音・携挙はどれほど近づいているか。

 

2022.06.05. 聖書預言アップデート

携挙にどれほど近づいているのか

JDファラグ牧師

ja.jdfaragministries.com

今日の「聖書預言・アップデート」は、質問に答えたいと思います。その質問とは、

イエス・キリストの患難時代前教会携挙にどれほど近づいているのか?』

この1週間は、今日のアップデートについて主を求めて多くの時間を費やしました。そう、私の願いと祈りは、私が分かち合うものが、信者の方々への大きな励みになることです。特に、今の世の中で起きていることで特に、自分自身に非常に落胆している人へ。因みに、知ってほしいのは、落胆している皆さん、あなたがたはとても良い仲間です。聖書聖句には、神に力強く用いられた男女非常に落胆し、落ち込んでいる多くの人たちが記されています。「しかし、神は」常にそこにおられ、常に彼らを支え、常に彼らに提供され、常に彼らを力づけ、常に彼らを励まされます。敵に、あなたが落胆し落ち込んだりするのは信仰が足りない証拠だと、嘘をつかせ、思い込まさせ、騙させないでください。敵にそれをさせないでください。あなたが落胆しているなら、良い仲間です。そして、この「聖書預言・アップデート」はあなたの為です。落胆していないなら、できるだけ愛情を込めて、丁寧に言いたいと思いますが、この「聖書預言・アップデート」はあなたの為ではありません。あなたが物事の頂点にいて、全てが素ン晴らしく上手くいっているなら。そんなあなたは、動画やリンクを保存したいかもしれませんね。主の来臨が遅れるなら、あなたにはいつかそれが必要になります。しかし私は、本当に落ち込んで、落胆している人に話したいと思います。なぜなら詰まるところ、携挙は祝福ある希望なだけでなく、私たちの唯一の希望です。キーワード:希望(会衆:アーメン)

ですから、あなたの励みになることを願います。しかし、未信者への警告になる事も願い祈っています。信者には励ましですが、未信者には警告です。まず、私たちが親しみを込めて「携挙」と呼ぶこの突然の出来事について、聖書で語られる2つの預言から始めたいと思います。最初のは、よく知られている

「第一テサロニケ人への手紙4章」13節から始めます。これは使徒パウロが最初に書いた手紙です。これから見ていく通り、彼が福音を初めて書いた手紙です。「携挙」の文脈で、これが福音・良い知らせだと語ります。13節、

I テサロニケ 4

13眠っている人たちについては、兄弟たち、あなたがたに知らずにいてほしくありません。あなたがたが、望みのない他の人々のように悲しまないためです。

14イエスが死んで復活された(これが福音・良い知らせ)、と私たちが信じているなら、神はまた同じように、イエスにあって眠った人たちを、イエスとともに連れて来られるはずです。

15私たちは主のことばによって、あなたがたに伝えます。生きている私たちは、主の来臨まで残っているなら、眠った人たちより先になることは決してありません。

16すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、

これが肉体の復活です。

17それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

18ですから、これらのことばをもって互いに励まし合いなさい。

皆さんこのことばで励まされますか?(会衆:はい)私は励まされます。もう一歩踏み込んで言います。私がこれを言うのに、飽き飽きしないでほしいのですが、私は本当に分かりません。大袈裟な表現ではなく、この希望がなかったら、私はどうしたら良いのか本当に分かりません。もういつでもラッパが鳴り響き、キリストにある死者が先によみがえり、その時生き残っている私たちが、もういつでも引き上げられ、携挙され、空中で主と会うのです。私たちは、亡くなった人たちにも空中で再び会えるのです。彼らは、先に栄光の体になって、それから私たちが栄光の体になって、それだけでも、、、主イエスよ、早く来てください。実にそのことが「第一コリント15章51節52節」にあります。パウロ聖霊によって語ります。

I コリント 15

51聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな眠る(死ぬ)わけではありませんが、みな変えられます。

52終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。...

瞬きする間ではなく、瞬時にです。一瞬にです。終わりのラッパと共に、です。

...ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、(生き残っている)私たちは変えられるのです。

変容して変えられ、変貌します。私たちはこの肉体を脱ぎ捨て、、、この仮の、朽ちていく、腐敗した、肉の体を脱ぎ捨て、一瞬で栄光の体になります。そして私たちは、偉大な力と偉大な速度で引き上げられ空中で主と会うのです。これが携挙です。7年間の患難時代前に起こります。

この機会に、患難時代前携挙の証拠について、「聖書預言・アップデート」全てに捧げたことに触れておきたいと思います。(2020.08.09. 聖書預言/患難前携挙の証拠) 」もう一度言います。「患難前携挙の証拠」は理論ではありません。言うのも難しいですが、、、すみません。最前列の方に唾を飛ばして。水の洗礼を早めに始める事になりますね。ー(笑)ー 「患難前携挙」は健全な教義です。

その動画のリンクをウエブサイトに貼っておきます。ダウンロード可能の21ページのPDFに、類型論と動画文書版があります。先に進む前に1つお伝えします。今読んだ「第一テサロニケ4章」と「第一コリント15章」にも、”ラッパの響き”とあります。パウロが、コリント人への手紙で詳しく語り、「終わりのラッパ」と言及しています。「テサロニケ人への手紙」には、「神のラッパの響き」と書いています。私がそれを指摘する事が、なぜそんなに重要なのか?なぜなら、2種類のラッパがあるからです。

1つ目のラッパは、イスラエルの為です。

2つ目、最後のラッパは教会の為です。

御使いのラッパは、イスラエルの為。神のラッパ、それが教会の為です。どうかどうかどうか、その区別をしてください。もしもイスラエルと教会の区別をせず、その境界線を曖昧にするのなら、、、無理もありません。特にこの悪魔のような教義に屈しているなら、それは、悪魔の聖書教義です。この悪魔の教義は、教会が神の選民としてイスラエルに置き換わった、神がイスラエルを見捨てたと教えます。悪魔的です。悪魔の教義です。教会が置き換わるなら、、、そんなの話すことすら難しいですが、教会が神の民イスラエルに置き換わるなら、教会が患難時代に入る事になるのですよ。患難時代の目的は、イスラエル国家の救いです。教会がイスラエルなら、どうなります? 私たちが患難時代を経験するというの? 患難時代は、ヤコブイスラエル)の苦難の時です。ヤコブが何か知ってますね。別名、イスラエルです。

この話に入るつもりはありませんが、遅すぎます。歯磨き粉をチューブに戻せないと言う様に、もう歯磨き粉があちこちに散らばりました。ー(笑)ー 神はユダヤ人と契約しておられます。永遠のご契約です。

神はユダヤ人を見捨てておられません。神はユダヤ人にご計画があられます。教会はイスラエルではありません。ヤコブイスラエルで、(患難時代は)ヤコブの苦難の時であり、教会の苦難の時ではありません。私たちは患難時代にいません。私たちは救われています。7年間の患難時代を教会に経験させる目的は何だと言うのです? それで何ができるのでしょうか? 何の目的ですか? 何の目的もありません。主がご自分の花嫁をこの世から取り除かれ、教会時代が終わる時、主はご自分の民、イスラエルに全焦点を向けられます。主がイスラエルとあられる永遠のご契約です。それがダニエルの第70週の全目的です。それが、私たちが7年間の患難時代と呼ぶ最後の7年間です。それが、私たちが知っている人類歴史の最後の7年間を意味します。7年間の患難時代の終わりに、キリストが再臨されます。因みにそれが、使徒パウロ聖霊によって書いている、今読んだ「第一テサロニケ」で皆さん気づいておられるなら、私たちは主の側で、主の花嫁として、一緒に戻って来るのです。ある人が適切に言う通り、

携挙は、イエスが私たちの為に来られる。

再臨は、イエスが私たちと共に来られる。

それが7年間という期間で区別されています。ですから、神の預言時計が示す次の出来事は、教会携挙だと言えるのです。お許しいただきたいのですが、誰もそのことを話題にしません。それが牧師が一番に話すべきことです。もういつでも起こりえるのだから。人々はそれを知る必要があります。他に理由がないなら、人々が私たちと同じ希望が持てるように。なぜなら、もういつでもあのラッパが鳴って、携挙が起こり得るのを知っているから、そう、私はその日を乗り切れるのです。もう今日かもしれないのです。

そうでなかったら、どうやって一日をやり過ごせばいいのか分かりません。言いにくいんですが、先に言っておきます。繰り返しますが、大袈裟に言うのではありません。文字通り気が狂いそうです。教会携挙と知られるこの出来事で、私はこの世から連れ去られるこの希望がなければ、私は気が狂ってしまうでしょう。皆さんに言います。物事が難しくなるにつれ、事実、どんどん難しくなっていっています。世は益々邪悪になり、 事実、世は益々邪悪になっていっています。教会携挙と、その教会携挙緊迫性は、すべてのクリスチャンの思考と心の最前線にあるべきです。なぜなら、それが楽しみで仕方ないのが分かっていれば、どんな困難も乗り越え易くなります。踏ん張って、頑張れます。手に鋤をかけ続け、あの報酬に目を起き、主だけに心を留めます。ではこのことが、前述の質問「本当に、携挙にどれほど近づいているか?」に繋がります。答えを聞く用意はいいですか? 皆さん、もうお分かりですね。私たちの誰もが想像しうる以上に近づいています。

「お~頼みますよ。牧師さん。毎週仰ってるじゃないですか。」分かっていますよ。そして毎週言い続けますよ。なぜだと思います? なぜならそうだから。どういう意味? 私たちは非常に近づいています。

私たちは、教会携挙に非常に近いのです。あなたがどんな試練に遭遇しようともどんな困難な状況にいようとも どのような状況を経験していようとも、この健全な教義と真理を知りこの希望を持つことで、

それが非常に近いと知ることで、主にあってあなたを強くします。「非常に近いとどうやって分かるの?」

はい、感謝な事に、聖書は、、、考えてください。聖書には、このような終わりの時の世の姿をキャンバスに描いた預言が数多く、しかも膨大な量にわたって記されています。こんな風に言わせてください。神は私たちに知ってほしいと思っておられます。神は私たちが無知であるのを望んでおられません。(会衆:アーメン)神は私たちに知ってほしいと思っておられます。そうすれば私たちが油断せず、不意を突かれることがないように。パウロが書いたように、

「あなたがたに書き送る必要がありません。」(I テサロニケ 4:9)

ペテロが同じことを反復しています。第二礼拝でこのことを少しお話します。

「このことについて、あなたがたに書く必要はないでしょう。なぜなら、あなたがたにとって、主の日は盗人のようにやってきます。」(II ペテロ 3:10)

なぜか? あなたがたが期待しているからです。あなたがたはそれを見張っているからです。不意打ちを食らわされません。あなたがたは目が覚めて、冷静で、警戒し、準備はできているからです。神は私たちに準備することを望んでおられます。神は私たちが知るのを望んでおられます。神は、聖書預言と終わりの時について、私たちが無知であるのを望んでおられません。そして今、終わりの時です。こんにち世で起こっている事を見れば一目瞭然です。預言の点と点を繋げてください。超賢くある必要はありません。つまり、慈悲深く、大声で叫んでいる自分の牧師を見てください。ただ預言の点と点を繋げてください。ではよろしければ、3つの預言を話したいと思います。しかし、先に進みましょう。どれでも、、、ライブ配信を終了します。ー(笑)ー

 

ー本編ー

もう、それすらも分かりません。すごく悪くなっています。何という事でしょう。木曜礼拝「エレミヤ書8章」で、ユーチューブについて触れたんです。もうユーチューブはもう終ってる? なら、話していいね? ユーチューブについて触れたんです。お~何という事。彼らが動画を非公開にしたからみんな見れなかったんですよ。そうなんです。注射のこととか、そういうのは話してないんです。私はいつも、、、

とにかく、気にしません。何でも構いません。私はこれらの預言を皆さんと分かち合い、聖霊が皆さんに、これらの預言の点と点を繋ぐ手助けをして下さると信じます。しかし私は、たくさんある中から2つだけ紹介したいと思います。多くのうちの2つだけです。こんにち私たちが、間違いなく、7年の患難時代の直前、患難時代前携挙の寸前にいる、疑いない2つの理由です。2つだけです。

1つ目は、「地上の全ての国々が足並みを揃えている。」

理由があって、その単語を使っています。幾人かの方は、理由をご存知だと思います。皆さんこれを考えてほしいのです。人類の歴史上、地上のすべての国がこれほどまでに統一されたことはありません。 それが正に終わりの時に起こると言われている事です。つまり、このことだけでも、これだけでも、決まりです。地上のすべての国が足並み揃えることよりも、さらに具体的なのは、聖書預言は「欺かれているからだ」と語ります。今、その核心は、すべての層を剥がし、言わば人が言うように、カーテンの裏側を見ると、そこにあるのは ”コロナ”という言葉です。コロナ。それがこの全ての核心です。コロナが、地上のあらゆる国々を統一し、完全に足並みを揃えています。人類歴史、かつてなかったことです。このようなことは、今だかつてなく、これから二度と見ることはないでしょう。これが、私が携挙がもういつでも起こりうると考える一番の理由です。これだけでも。OK。ちょっと一息つかせてください。聖書の中の3つの預言、その全てが終わりの時の「欺瞞」「惑わす力」についてで、それに「滅び」を加えます。

「ダニエル書8章」23節から始めましょう。

ダニエル 8

23彼らの治世の終わりに、その背く者たちが行き着くところに至ったとき、横柄で策にたけた一人の王が立つ。

24彼の力は強くなるが、自分の力によるのではない。彼は、驚くべき破壊を行って成功し、有力者たちと聖なる民を滅ぼす。

25狡猾さによってその手で”欺き”を成し遂げ、心は高ぶり、平気で多くの人を滅ぼし、君の君(イエスに向かって立ち上がる。しかし、人の手によらずに彼は砕かれる。

言い換えれば、残念だねぇ~!「第二テサロニケ2章」7節から、

II テサロニケ 2

7不法の秘密はすでに働いています。ただし、秘密であるのは、今引き止めている者が取り除かれる時までのことです。

8その時になると、不法の者が現れますが、主イエスは彼を御口の息をもって殺し、(待ちきれません)来臨の輝きをもって滅ぼされます。

9不法の者は、サタンの働きによって到来し、あらゆる力、偽りのしるしと不思議、(その偽りに徹する)

10また、あらゆる悪の”欺き”をもって、滅びる者たちに臨みます。彼らが滅びるのは、自分を救う真理を愛をもって受け入れなかったからです。

11それで神は、...(これは人によっては理解しがたいです)...それで神は、惑わす力を送られ、彼らは(その)偽りを信じるようになります。

12それは、真理を信じないで、不義を喜んでいたすべての者が、さばかれるようになるためです。

このことについて、少し説明すべきですね。これが神の側での不義だとは、決して思わないでください。

「それで神ご自身が、惑わす力を送られる?彼らは(その)偽りを信じるようになる? じゃあ、それって不公平に聞こえない?」ちょっと待ってください。彼らは既に選択しているのです。彼らの運命は既に決まっていて、彼らの心は既に頑なになっていて、彼らの心はもう決まっています。神は決してご自分を

押し付けるようなことはなさいません。神は彼らを引き渡されます。言っときますけど、聖書朗読や聖書の学びで泣きたくなります。「ローマ人への手紙1章」を見れば分かります。胸が張り裂けそうです。まるで神が、彼らを引き渡さねばならないかのようです。なぜなら、彼らが神を拒絶し、彼らはもう主を拒んでいるのです。彼らはもう決心はついているのです。彼らは単に邪悪なだけでなく、実際にその邪悪さを楽しんでいるのです。先週「エレミヤ書」で見ましたね。自分たちが行っていた悪事を実際、自慢していたのです。彼らは自慢して、現代風に言うなら 悪事をSNSに投稿していたのです。彼らは、自分たちが行っている悪と邪悪をとても誇りに思っていました。彼らはそれを自慢し、喜んでいたと使徒パウロは言います。ですから神はこう仰います。「分かりました。わたしはあなたに無理強いはしません。あなたは選んだのです。あなたはわたしを拒絶しました。ですから、どうぞ。」再度、エレミヤ書への言及、

繰り返しの参照をお許しください。でもピッタリなのです。ユダが当時行っていたことと、今の世の中のとの預言的類似性にゾッとし、驚愕します。その邪悪さ、その悪に。しかし神は、エレミヤに2度仰います。これも難しいのですが、

「この民のために祈ってはならない。わたしはあなたの願いを聞かないからだ。」(エレミヤ 7:16/11:1)

「エレミヤよ。祈るのを止めなさい。わたしは聞かないからです。あなたの呼吸を無駄にしてはいけません。」「待ってください。祈るのを止めるという意味ですか? 神が祈るのを止めるよう仰るのですか?」

ーそうです。「なぜですか?」「なぜなら、彼らは既に心を決めているからです。彼らは既にわたしを拒絶しました。彼らは他の神々に仕えています。バアルに、です。彼らは他の神々に香を捧げているのです。

神はエレミヤに宣言するように言われます。エレミヤはエルサレムの街角でこのことを語り、預言しているのです。ちょうど7章から10章までの、いわゆる「神殿メッセージ」が終わったところですが、エルサレムの神殿の門の入り口で エレミヤが預言し、宣言しています。「暗い見通しだ。裁きが来る!!

悔い改めなさい。」民は悔い改めません。事実、エレミヤが悲観的な説教をし、裁きが来ると言ったので、彼らは怒り、激怒し、そんな風に言うのは残念ですが、彼らはエレミヤの命を狙いました。彼らは基本的に、彼を殺し、黙らせ、彼を止めることを企んでいます。彼らはそれが聞きたくないのです。神はエレミヤに仰います。「彼らを自分たちが崇拝している神々、それも全く神でない神々のところへ行かせなさい。そして彼らのために祈ってはいけません。なぜなら、彼らは既に運命を決めてしまったからです。彼らの心は既に決まっているからです。」それが終わりの時の世の状態です。聞いてください。この質問をしていいですか? 私はこんにちの世を描写しましたか? ええ、それには理由があります。それがこんにちの世だからこんにちの世の描写なんです。私たちが正にそうなると語られている通りです。私が個人的に信じるのは、この強い惑わす力は既にあります。パウロが語る通り、不法は既に働いています。既に起こっています。私はただ困惑します。人々がいかに欺かれているか、いかに盲目であるか、本当に当惑します。ある意味、これで説明がつくのでしょうね。彼らは、真理、道、真理、そして命であるイエスを拒絶したのです。真理を拒絶すると、あなたは嘘に、偽りの父に自分自身を開放します。

では、3つ目、 私が全ての大もとと呼ぶ、「ヨハネの黙示録18章23節」です。これについては、これまでのアップデートで十分語ってきました。これはバビロン崩壊の患難時代の預言です。ヨハネが書くよう言われます。

黙示録 18

23ともしびの光も、おまえのうちで、もはや決して輝くことはない。花婿と花嫁の声も、おまえのうちで、もはや決して聞かれることはない。というのは、おまえの商人たちが地上で権力を握り、おまえの魔術によってすべての国々の民が惑わされ、

すべての国々の民が足並みを揃え、すべての国々の民です。95%とか97%とかではありません。違います。皆さん「すべて」という単語の原語知ってますか?大変深遠です。「すべて」は「全部」です。すべての国々の民が惑わされる。「何によって惑わされるの?」お~、Sorcery/ソーシャリーです。「それって何?」ファルマキア=医薬品、魔法、毒物、調合Sorcery/ソーシャリー=ファルマキア(薬・薬剤)

「待って。聖書に預言があるってこと?」ーはい、今読みました。「それって、地上のすべての国々が、医薬品の何かに騙される、先の未来の時を預言しているのですか?」いいえ、私がそう言っているのでは

ありません。神の御言葉がそう仰っています。私がかわい子ぶっているのではなく、それが預言なのです。ですから再度、この質問を皆さんにします。これが今、起こっていることですか? ですか?

では2つ目。1つ目に深く繋がっています。地上の全ての国の民が、足並み揃えるだけでなく、全ての世界経済がデジタルになります。再度、人類史上、かつてこんなの見たことありません。皆さん、これは、、、

悲しいです。何が起こるのかについて牧師が鳴らすべき警鐘を世俗的な経済学者が鳴らすのは悲しいです。ご存じですか?これらは、私たちは彼らを金融の専門家、世界の経済学者と呼んでいて、みんな同じことを言ってるんですよ。彼らは何を言っているのか?

「私たちが知っている通貨は無くなり、すべてがデジタル化される。」

その理由が分かりますか? なぜなら、世界中の経済が総崩れる寸前で、意図的だからです。コロナです。コロナ。コロナが、言わば、現在の世界経済を崩壊させ、デジタル・キャッシュレス経済を実現する支配解体の火薬として使われたのです。事実、今、ある場所で、、、前は冗談で言っていたのですが、私はもう冗談は言いません。実際笑えませんので。でもこう言っていたものでした。

「ここはまだ現金が使えるの?ははははは。」誰も現金を使わないから。みんなが「はい、カード。」もう笑えないので言いません。今は「現金は使えません。」という場所もありますから。事実、これはどうですか?「もうカードも使えません。」何ですって? じゃあ、どうやってお金を払うの?「お~、デジタルシステムを使って支払って下さい。スキャンします。それが支払い方法です。」「ちょっと待って。それって聖書じゃない?」ーはい、そうです。「ヨハネの黙示録13章」によく似ています。ーはい、なぜならそうだから。「黙示録13章15節から18節」を読みます。皆さんよくご存知ですが、私はここで2~3指摘します。

黙示録 13

15それから、その獣の像に息を吹き込んで、獣の像がものを言うことさえできるようにし、また、その像を拝まない者たちをみな殺すようにした。

さて、このためには、ある種の技術が必要であり、その技術は整っています。

16また獣は、すべての者に、すなわち、小さい者にも大きい者にも、富んでいる者にも貧しい者にも、自由人にも奴隷にも、その右の手あるいは額に刻印を受けさせた。

17また、その刻印を持っている者以外は、だれも物を売り買いできないようにした。刻印とは、あの獣の名、またはその名が表す数字である。

18ここに、知恵が必要である。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。それは人間を表す数字であるから。その数字は六百六十六である。

OK。いくつか指摘します。まずはじめに、像が物を言うというのは、かなり高度な技術のようですね。しかし、その高度な技術は10年先の話ではありません。今ここにあります。今ここにあります。

また、この獣の名前や名前の数字を表示する刻印やしるしや何かがないと売買できないのは、それが何であろうと、これがなければ、買おうとしているものを買うことも、売ろうとしているものを売ることもできない。つまり、それが必要になり、お付き合いください。複雑に考えすぎているわけではありません。しかし、一元管理されたある種のデジタルシステムが必要なのは当然でしょう。

一元管理/中央集権化=キーワード

そうすれば、それを実現するためすべての取引とすべての人を追跡することができる。それからまた、私にはこう聞こえます。極端なことを言うかもしれませんが、単純化しすぎるのもよくないと思います。しかし私にはこう聞こえます。このようなことを実現するためには、世界統一デジタル通貨が必要です。

そして、正にその通りなのです。それはもうここにあり、既に起こっています。中央集権銀行デジタル通貨(CBDC)になります。現在、暗号通貨は分散型ですが、これは中央集権型になります。ですから、このコントロールセンターがあり、そこで集中管理され、あなたに売買が可能かどうかが分かるのです。

これ聞いてください。こんな風に(指を鳴らすだけで)彼らは消せるのです。すると、シナリオに沿わない投稿をするとアカウント停止になります。アカウント停止。まあ、これが私のソーシャルメディアのアカウントです。「別のものを立ち上げるよ。」OK。どうぞどうぞ。じゃあ、停止されるのがソーシャルメディアのアカウントだけでなかったらどうでしょう? 停止されるのが銀行口座だったら? どういう意味ですか?「お~、あなたは遵守違反です。」では車について。ちょっとだけ、車の話をしましょう。彼らは車を停止させることができます。あなたは運転もできません。どうせ自分のものではないのですから、彼らがそれもコントロールするのです。知りませんか?聞きませんでしたか?「何も持たずに幸せになる」彼らが全てを支配します。ですから店舗に行くと、そこに到達できればの話ですが、お~因みに、彼らは、あなたがどこにいても、どこまで行けるかをコントロールできます。彼らはあなたの居場所を追跡し、監視し、正確に知ることができるから。この技術は、かなり以前からあるんですよ。数年前に息子に教えてもらいました。彼らは実際、あなたがどこにいるかだけでなく、たとえば家にいるのなら、どの部屋にいるのかも知っています。素敵な午後をお過ごしください。これ(携帯電話)? ーそうです。

彼らは私たちの上にいて、彼らは、、、私たちではないですよ。でも、誰かの上にいるのではなく 誰かの中にいることになります。ですから彼らは、 あなたがどこにいて、何をしていて、何を買って、何を売って、どこに行くのかを正確に知ることができます。遵守違反すれば、アカウントを停止され何もできなくなります。OK。私は、この預言のキャンバスに大雑把なブラシで描いているのは分かっています。しかしそれでも言っておきます。今お話したことは全て、既に起こっていることです。既に実現し始めています。5年後、10年後の話じゃないんです。今、既に行われている話です。

「では、説明してもらえますか?」もちろん。「黙示録18章23節」の預言によると、この医薬品の最終的解決策が記されています。それは、サタン的欺瞞に相対し、最終的に獣のしるしになるでしょう。

どうかご辛抱ください。現在の注射は、獣のしるしではありません。こういう質問をよくもらいます。

「悲しいことに、私は接種しました。私は救いを失ったのでしょうか?」ー絶対違います。

あなたが新生しているなら、再度、新生していない にはなれません。「お~あなたもその一人なんですね。一度救われれば、救われたままだと?」ちょっと待ってください。お付き合いください。もし、私が救いを失うことがあるのなら、それを維持するため、何かをせばならないという意味です。それは行いに聞こえますよね。私はそれを獲得せねばならない?

「私は、この恵みのゆえに、信仰によって救われたと思っていました。行いによるのではありません。神の賜物です。だれも誇ることのないためです。」(エペソ 2:8~9)

私には3人の子どもがいます。彼らは全員生まれました。彼らは生まれない、が出来ません。時に、特に10代の頃は特に......気にしないでください。しかし、意味は分かりますね? 一旦新生したら、新生しているのです。再度、新生していない になれません。一旦救われたら、救われているのです。救われていない、になれません。ちょっと待ってください。その聖句をすべて列挙し始めるとどうですか? そう、聞いてください。救われたと言ったり、公言したりする人が、実際には救われていない場合、それは救いを失ったのではありません。持っていないものを失うことはありません。あなたが新生しているなら、新生しています。救われています。

「完了した。」(ヨハネ 19:30)

エスがこう仰るのを想像できますか?「完了した。しかしながら、、、」ー(笑)ーあるいは、「完了した。もしも~するなら。」あるいは、「完了した。場合によります。」違います。「完了した。」以上。

それが、十字架上の完成された御業です。私たちがすることは何もありません。イエスがなさったのです。完了です。完了:フィニート(イタリア語)ハラッス(アラビア語)皆さん、アラビア語好きになりますよ。アラビア語で何か言うと、みんなに唾を飛ばします。

OK。では、私たちがこれをよく理解したかどうか見て、締めくくりましょう。ですから、牧師さん、今日のあなたの「聖書預言・アップデート」の前提は携挙が差し迫っていて、いつでも起こりうるということで、新生しているなら、その希望があるから、私にとってこれはとても励みになるはずで、あなたが信じているほど近いなら、それほど長くはないでしょう。私にとって不公平でさえあると思います。私が信じるほど近いのではなく、聖書が語る通りに近いのです。」

「ですから、7年の患難時代に起こると語られているあらゆることが、既に7年の患難時代前に起こっている事実から、そんなに近いのなら、それって一変しますよ。」はいそうです。しかし、それは双方作用です。このことを改めて強調したいと思います。今日のこの「聖書預言・アップデート」が、あなたにとって、励みになるか、恐怖になるかは、あなたとイエス・キリストという人物次第です。言い換えれば、今日、私が話したことがあなたの希望になり、踏ん張り、主が来られる励みになるなら、主を褒めたたえます。(会衆:アーメン)

しかし今日、私が話したことがあなたを震え上がらせるなら、それは、イエス・キリストという人物にある救いについて、あなたがどういう位置にいるかをよく表します。そう、私たち信者は、これらの事が起こり始めたら、顔を上げます。私たちの贖いが近づいているのを知っているからです。(ルカ21:28)

しかし、未信者には、扇情的に聞こえたくありませんが、警告です。最終警告になり得ます。それくらい、私たちは近づいています。そして、私はいつか申し開きをせねばなりません。

私は、主にこう言って貰いたいのです。

「良くやった。忠実なしもべよ。」(マタイ 25:21)

私は、こう言われるのを知って、怖気づいたり、挫けたり、屈服したりしなかったからです。「なあ、人々はこれを聞きたくないよ。」いいえ。私は真理を話さねばなりません。御言葉を宣べ伝えねばなりません。使徒パウロはこう言っています。

「福音を宣べ伝えないなら、私はわざわいです。」(I コリント 9:16)

 

福音(ふくいん)とは何でしょうか。福音とは、イエスが(地上に)来られ、十字架で死なれ、葬られ、

3日目によみがえられ、そしてある日戻って来られる事。まもなく、もう大変間近に。それが良い知らせです。福音=良い知らせです。「あなたの負債は支払われました。あなたは自由です。」ですから私たちは、

「救いのABC」をするのです。どうか、形式的にしないでください。これは子どもにでも分かる救いの説明なのです。非常に簡単です。

A:自分が神に背いた罪びとであるのを、Admit/認める または、Acknowledge/認識する。

自分が罪びとだと認めないと、本当に救い主に興味を持ちません。

ローマ人への手紙3章10節にあります。

「義人(正しい者)はいない。一人もいない。」

ローマ人への手紙3章23節がその理由です。

「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、」

罰則があるのです。悪い知らせですね。

それが、ローマ人への手紙6章23節、

「罪の報酬は死です。」(ローマ 6:23a)

死刑宣告です。私たち誰しもが罪びとで、誰もが死刑を宣告されているのです。私たち誰しもが、神の法を破っているから。私たち誰しもが、神の完全が義の基準に届いていないから。ですから、私たち誰しもが有罪で、死を宣告されているのです。しかし、良い知らせがあります。

「神の賜物(贈り物)は私たちの主キリスト・イエスによる永遠の命です。」(ローマ 6:23b)

 

B:あなたの心で、信じるだけ。イエス・キリストが主であると Believe/信じる。

ヨハネ 3

16神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子(イエスを”信じる”者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

ローマ人への手紙10章9-10節

「あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。」

そして、Cです。信じる事、イエスに信頼を置く事の結果として生じます。C:主の御名を Call/呼び求める。

ローマ人への手紙10章9-10節、

「あなたの口でイエスは主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。」

「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ローマ10:10)

最後に、ローマ人への手紙10章13節、

『主の御名を呼び求める者はみな救われる。』

主はあなたを決して拒まれません。主を呼び求め、主を信じ、主に信頼を置いてください。あなたは救われます。それほどシンプルです。今日、あなたに切に願います。この教会に来られているか、オンラインで見ている人で、イエスに信頼を置いたことがないなら、他にどういえば良いか分かりません。しかし、今日が救いの日です。先延ばしにしないでください。たとえ、、、こう言いましょう。もしも、携挙が私たちが信じるように、また聖書に記されているように、まもなくではないとしても、明日の保証はありません。あなたには分かりません。そのことをヤコブの5章だと思いますが学びます。ヤコブがこう言います。

「今日か明日、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をしてもうけよう」と言っている者たち、よく聞きなさい。あなたがたには明日のことは分かりません。あなたがたのいのちとは、しばらくの間あらわれて、それで消えてしまう霧です。(ヤコブ 4:13~14)

あなたがたが言うべきは、「主の御心なら」なぜか? 明日は保証されていないからです。これを共有したいと思います。しばらく共有していなかったので、これを今日の "しかし、神は。ストーリー"証と一緒に締めくくります。

何年も前のことで、私は本当に主に対してかなり若かった頃、実は、私はかなり若かったんです。私はある里子の少年施設で奉仕しました。ある子がいて、彼はとてもかっこよかった。大変素敵な13歳の少年でした。黒人の子で、私の親友で、彼はとても素敵でした。私は彼に好感を持ちました。ある日のこと、その施設にいて、彼に福音を伝え、永遠の命を得るため人生で最も重要な決断をするのを求めるよう聖霊に促されるのを感じました。私はあたふたしてしまい、ヘマをして、しくじったんです。私が、聖霊の何が大好きかというと、聖霊が、すべてのヘマとしくじり、とりとめのないのを補ってくださる事です。口から言葉が出る前に、自分が伝えようとする人の心に調律して下さるのです。つまり、彼はその日、救われました。そんな私にも関わらず。こんな感じでした。彼が「はい。」と言って、私は「どうすればいい?」私はただ、聖霊に委ねました。私たちは、涙を流しながら祈りました。彼はイエスに信頼を置き、救われました。そしてその週、親しい友人から電話がありました。その子が遠足に行った場所で溺死したと。私は自分自身に思いました。「主よ、ありがとうございます。感謝します。」私はその子にまた会えるのです。待ちきれません。なんて嬉しいのでしょう。彼があの日に決断をしたことが。それが今日、あなたかもしれません。それが今日見ているあなたかもしれません。私は切に願います。どうかどうか。

では、今日の「しかし、神は。ストーリー」証で締めくくりましょう。キンバリー・ジェローさんからです。お名前を正しく発音していますように。

 

「こんにちは。JD牧師。私の”しかし、神は”の証をお伝えしたかったのです。今週、意外にも緊急救命室を受診しました。数週間前、鉄剤の点滴を受けました。貧血で今まで何度もしています。しかし、今回は 複雑な問題があるようです。ただ体調が悪く、胸壁が締め付けられ、息苦しくなっていました。

それで、緊急救命室に行く時だと思ったのです。医師と話し、「低リン酸血症」にかかっていることが分かりました。(そういう名称です)これは、リン酸塩が非常に少ない状態です。医師は、私の数値が0.6で、これは致命的で 命にかかわると言いました。救急救命室の専門医は、私がどうやって自力で歩いてきたのか、困惑していました。 ほとんどの人が昏睡状態になり、ICUに入るからです。しかし、神は。

私を自力で歩かせ救命救急室へ行かせられました。入院が必要な状態でしたので、私たち夫婦は主に、必須のコロナワクチンをどうか求められないよう祈りました。入院手続きをしている時、看護師が質問してきました。ワクチン接種をしたかどうかを。私は未接種だと言いました。その看護師は私を見て言いました。「私も未接種です。だから心配しないでください。」ー爆笑ー

その夜、病院のベッドで横になっていました。今まで「聖書預言・アップデート」を見逃したことはありません。あなたのメッセージ「夜明け前が常に一番暗い」を見ていました。あなたは、イエスの御言葉を引用し3回繰り返しました。

”恐れてはならない””恐れてはならない””恐れてはならない”

このメッセージは、ちょうどいいタイミングで主が与えて下さったと感じました。リン酸塩の注入と、数値が十分上がってきたことで、在宅介護で家に帰してもらえそうです。主を褒めたたえます。イエス様、私を見守り、見捨てないでくださることに感謝します。私の上にあるイエスの旗は愛です。イエス様、ありがとうございます。」ー拍手ー

カポノは上がってきてください。皆さんご起立ください。祈りで締めくくります。カポノが賛美で締めくくります。

 

主よ。私たちは、あのラッパが鳴るのを待ち望んでいます。イエス様、それが私たちの唯一の希望です。イエス様、あなたが唯一の希望です。私たちの希望は、この世にはありません。ここにはもう何もありません。私たちがしがみついていたもの、望んでいたものは、もうありません。それに感謝します。なぜなら、私たちはあなたに心を向け、あなたに目を向け、あなたを見つめ、あなたが約束されたように、再び来てくださいます。あなたが弟子たちに「行かなければならない」と仰ったのは、あなたが行って、御父の家に婚姻部屋を私たちのための場所を準備されるためです。そうでなかったら、あなたはこのことを私たちに仰らなかった、約束されなかったでしょう。

あなたがが行って、私たちに場所を用意されたら、また来て私たちをあなたのおられる場所に迎えてくださいます。(ヨハネ 14:2~3)あなたは、

弟子たちにこのことを仰いました。彼らの心が騒いでいたからです。主よ、今日ここで私の話を聞いている人、見ている人の中には、心を大きく悩ませている人がいます。恐らく、その人たちは恐れや不安でいっぱいで、絶望に変わっていっています。お~イエス様、お願いします。イエス様あなただけが御出来になる方法で、力づけ、励まし、あの希望を新たにし、私たちが忘れがちなことを、思い出させてください。この世が私たちの家ではなく、あなたが、私たちを家に連れて行くため来られる事を。

主よ、それが大変間近であるのを感謝します。

私たちは準備万端です。エス様、ありがとうございます。イエスの御名によって。アーメン。

 

 

 

 

 

 

どうしたら救われますか。

Q. 質問

前回のQ&Aで、キリスト教の救いとは「神の怒りからの解放」だと教わりました。それが根源的な救いであるという説明に、とても納得しました。それで、どうしたら救われるのか知りたいと思いました。

A. 回答

前回のメッセージで、「救いとは、神の怒りから解放されることです」と申し上げました。納得していただき、ありがとうございます。「では、どうしたら救われるか」というのが、今日のテーマですね。これは、非常に重要なテーマです。
いつものように、3つ申し上げます。

1番目に、「自分で、自分を救うことはできない」と自覚することが重要です。ここからスタートです。

私たちは、どんなに努力しても、神様の聖さの基準に到達することはできません。ですから、「自力救済は不可能だ」ということをまず覚えてください。全ての人は、罪を犯したために、神からの栄誉を受けることができなくなっている、というのが聖書の教えです。

2番目に、「救いは神様からの一方的なプレゼントだ」ということを理解してください。

聖書が教える救いとは、贈り物なのです。ギフトなのです。

ゴスペルソングに、「アメイジング・グレイス」というのがありますが、日本語では「驚くばかりの恵みなりき」と言います。日本でも多くの方が、この歌が好きで歌ってらっしゃいます。実は、これは神様の恵みを体験した人の感謝の歌です。作者は、神様の恵みはプレゼントなんだ、ということを理解したわけです。

聖書が教える救いのメッセージを、「福音」と言います。つまり、「よい報せ」のことです。英語では「グッドニュース」ですね。福音を信じて神の赦しを受け取った人が感謝して歌うのが、アメイジング・グレイスです。

福音は、人間が考えたものではなくて、神様が啓示してくださったものです。神様が教えてくださったもの、それが福音です。ですから、聖書が伝える救いの方法というのは、人間の頭で考え出したものとは、根本的に違うのです。

3番目に、「では、福音とは何なのか」を理解してください。

救いは、福音の中にある3つの要素に同意することによって、与えられます。

  1. イエス・キリストは、あなたのために、わたしのために、あなたの罪のために、わたしの罪のために、十字架にかかり死んでくださった」。これは、身代わりの死です。専門的には、「贖罪の死」と言います。
  2. 「死んで墓に葬られた」。イエスは確かに肉体的な死を経験されました。
  3. 「3日目に死者の中から復活された」。イエスは死に勝利し、栄光の体に甦られたのです。つまり、イエスは今も生きておられるということです。

この3つの要素を理解し、イエス・キリストをそのようなお方として受け入れるなら、その人は救われます。これが、救いに至る唯一の道です。

信じる決心ができた方は、このように祈ってください。

「天の父なる神様、私は罪人でした。私の罪は、あなたの恵みによってしか解決されません。私は、イエス・キリストが『私の罪のために死なれたこと』、『墓に葬られたこと』、『3日目に復活されたこと』を信じます。主イエス・キリストの御名によって、祈ります。アーメン」

この祈りをされた方は、救われています。救いは、信仰と恵みによって与えられます。

参考になる聖句

「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません』」(ヨハネ福音書14:6)

「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです」(コリント人への手紙第一15:3)

祈ってみよう!

イエス・キリストを心に受け入れるにはどうしたらいい?

今、聖書に書かれている神の救いを、自分のものとして受け取りたいと思いますか?受け取る方法は簡単です!
神様がただ一つの救いの方法として示しておられる、イエス・キリストを心に迎える祈りをしてみましょう。あなたが良い人間である必要も、あなたが頑張り屋である必要もありません。祈り方はボタンをクリック!

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