イエス・キリストの携挙はどれほど近づいているのか?

 

2022.06.05. 聖書預言アップデート

携挙にどれほど近づいているのか

JDファラグ牧師

今日の「聖書預言・アップデート」は、質問に答えたいと思います。その質問とは、

イエス・キリストの患難時代前教会携挙にどれほど近づいているのか?』

ja.jdfaragministries.com

この1週間は、今日のアップデートについて主を求めて多くの時間を費やしました。そう、私の願いと祈りは、私が分かち合うものが、信者の方々への大きな励みになることです。特に、今の世の中で起きていることで特に、自分自身に非常に落胆している人へ。因みに、知ってほしいのは、落胆している皆さん、あなたがたはとても良い仲間です。聖書聖句には、神に力強く用いられた男女非常に落胆し、落ち込んでいる多くの人たちが記されています。「しかし、神は」常にそこにおられ、常に彼らを支え、常に彼らに提供され、常に彼らを力づけ、常に彼らを励まされます。敵に、あなたが落胆し落ち込んだりするのは信仰が足りない証拠だと、嘘をつかせ、思い込まさせ、騙させないでください。敵にそれをさせないでください。あなたが落胆しているなら、良い仲間です。そして、この「聖書預言・アップデート」はあなたの為です。落胆していないなら、できるだけ愛情を込めて、丁寧に言いたいと思いますが、この「聖書預言・アップデート」はあなたの為ではありません。あなたが物事の頂点にいて、全てが素ン晴らしく上手くいっているなら。そんなあなたは、動画やリンクを保存したいかもしれませんね。主の来臨が遅れるなら、あなたにはいつかそれが必要になります。しかし私は、本当に落ち込んで、落胆している人に話したいと思います。なぜなら詰まるところ、携挙は祝福ある希望なだけでなく、私たちの唯一の希望です。キーワード:希望(会衆:アーメン)

ですから、あなたの励みになることを願います。しかし、未信者への警告になる事も願い祈っています。信者には励ましですが、未信者には警告です。まず、私たちが親しみを込めて「携挙」と呼ぶこの突然の出来事について、聖書で語られる2つの預言から始めたいと思います。最初のは、よく知られている

「第一テサロニケ人への手紙4章」13節から始めます。これは使徒パウロが最初に書いた手紙です。これから見ていく通り、彼が福音を初めて書いた手紙です。「携挙」の文脈で、これが福音・良い知らせだと語ります。13節、

I テサロニケ 4

13眠っている人たちについては、兄弟たち、あなたがたに知らずにいてほしくありません。あなたがたが、望みのない他の人々のように悲しまないためです。

14イエスが死んで復活された(これが福音・良い知らせ)、と私たちが信じているなら、神はまた同じように、イエスにあって眠った人たちを、イエスとともに連れて来られるはずです。

15私たちは主のことばによって、あなたがたに伝えます。生きている私たちは、主の来臨まで残っているなら、眠った人たちより先になることは決してありません。

16すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、

これが肉体の復活です。

17それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

18ですから、これらのことばをもって互いに励まし合いなさい。

皆さんこのことばで励まされますか?(会衆:はい)私は励まされます。もう一歩踏み込んで言います。私がこれを言うのに、飽き飽きしないでほしいのですが、私は本当に分かりません。大袈裟な表現ではなく、この希望がなかったら、私はどうしたら良いのか本当に分かりません。もういつでもラッパが鳴り響き、キリストにある死者が先によみがえり、その時生き残っている私たちが、もういつでも引き上げられ、携挙され、空中で主と会うのです。私たちは、亡くなった人たちにも空中で再び会えるのです。彼らは、先に栄光の体になって、それから私たちが栄光の体になって、それだけでも、、、主イエスよ、早く来てください。実にそのことが「第一コリント15章51節52節」にあります。パウロ聖霊によって語ります。

I コリント 15

51聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな眠る(死ぬ)わけではありませんが、みな変えられます。

52終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。...

瞬きする間ではなく、瞬時にです。一瞬にです。終わりのラッパと共に、です。

...ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、(生き残っている)私たちは変えられるのです。

変容して変えられ、変貌します。私たちはこの肉体を脱ぎ捨て、、、この仮の、朽ちていく、腐敗した、肉の体を脱ぎ捨て、一瞬で栄光の体になります。そして私たちは、偉大な力と偉大な速度で引き上げられ空中で主と会うのです。これが携挙です。7年間の患難時代前に起こります。

この機会に、患難時代前携挙の証拠について、「聖書預言・アップデート」全てに捧げたことに触れておきたいと思います。(2020.08.09. 聖書預言/患難前携挙の証拠) 」もう一度言います。「患難前携挙の証拠」は理論ではありません。言うのも難しいですが、、、すみません。最前列の方に唾を飛ばして。水の洗礼を早めに始める事になりますね。ー(笑)ー 「患難前携挙」は健全な教義です。

その動画のリンクをウエブサイトに貼っておきます。ダウンロード可能の21ページのPDFに、類型論と動画文書版があります。先に進む前に1つお伝えします。今読んだ「第一テサロニケ4章」と「第一コリント15章」にも、”ラッパの響き”とあります。パウロが、コリント人への手紙で詳しく語り、「終わりのラッパ」と言及しています。「テサロニケ人への手紙」には、「神のラッパの響き」と書いています。私がそれを指摘する事が、なぜそんなに重要なのか?なぜなら、2種類のラッパがあるからです。

1つ目のラッパは、イスラエルの為です。

2つ目、最後のラッパは教会の為です。

御使いのラッパは、イスラエルの為。神のラッパ、それが教会の為です。どうかどうかどうか、その区別をしてください。もしもイスラエルと教会の区別をせず、その境界線を曖昧にするのなら、、、無理もありません。特にこの悪魔のような教義に屈しているなら、それは、悪魔の聖書教義です。この悪魔の教義は、教会が神の選民としてイスラエルに置き換わった、神がイスラエルを見捨てたと教えます。悪魔的です。悪魔の教義です。教会が置き換わるなら、、、そんなの話すことすら難しいですが、教会が神の民イスラエルに置き換わるなら、教会が患難時代に入る事になるのですよ。患難時代の目的は、イスラエル国家の救いです。教会がイスラエルなら、どうなります? 私たちが患難時代を経験するというの? 患難時代は、ヤコブイスラエル)の苦難の時です。ヤコブが何か知ってますね。別名、イスラエルです。

この話に入るつもりはありませんが、遅すぎます。歯磨き粉をチューブに戻せないと言う様に、もう歯磨き粉があちこちに散らばりました。ー(笑)ー 神はユダヤ人と契約しておられます。永遠のご契約です。

神はユダヤ人を見捨てておられません。神はユダヤ人にご計画があられます。教会はイスラエルではありません。ヤコブイスラエルで、(患難時代は)ヤコブの苦難の時であり、教会の苦難の時ではありません。私たちは患難時代にいません。私たちは救われています。7年間の患難時代を教会に経験させる目的は何だと言うのです? それで何ができるのでしょうか? 何の目的ですか? 何の目的もありません。主がご自分の花嫁をこの世から取り除かれ、教会時代が終わる時、主はご自分の民、イスラエルに全焦点を向けられます。主がイスラエルとあられる永遠のご契約です。それがダニエルの第70週の全目的です。それが、私たちが7年間の患難時代と呼ぶ最後の7年間です。それが、私たちが知っている人類歴史の最後の7年間を意味します。7年間の患難時代の終わりに、キリストが再臨されます。因みにそれが、使徒パウロ聖霊によって書いている、今読んだ「第一テサロニケ」で皆さん気づいておられるなら、私たちは主の側で、主の花嫁として、一緒に戻って来るのです。ある人が適切に言う通り、

携挙は、イエスが私たちの為に来られる。

再臨は、イエスが私たちと共に来られる。

それが7年間という期間で区別されています。ですから、神の預言時計が示す次の出来事は、教会携挙だと言えるのです。お許しいただきたいのですが、誰もそのことを話題にしません。それが牧師が一番に話すべきことです。もういつでも起こりえるのだから。人々はそれを知る必要があります。他に理由がないなら、人々が私たちと同じ希望が持てるように。なぜなら、もういつでもあのラッパが鳴って、携挙が起こり得るのを知っているから、そう、私はその日を乗り切れるのです。もう今日かもしれないのです。

そうでなかったら、どうやって一日をやり過ごせばいいのか分かりません。言いにくいんですが、先に言っておきます。繰り返しますが、大袈裟に言うのではありません。文字通り気が狂いそうです。教会携挙と知られるこの出来事で、私はこの世から連れ去られるこの希望がなければ、私は気が狂ってしまうでしょう。皆さんに言います。物事が難しくなるにつれ、事実、どんどん難しくなっていっています。世は益々邪悪になり、 事実、世は益々邪悪になっていっています。教会携挙と、その教会携挙緊迫性は、すべてのクリスチャンの思考と心の最前線にあるべきです。なぜなら、それが楽しみで仕方ないのが分かっていれば、どんな困難も乗り越え易くなります。踏ん張って、頑張れます。手に鋤をかけ続け、あの報酬に目を起き、主だけに心を留めます。ではこのことが、前述の質問「本当に、携挙にどれほど近づいているか?」に繋がります。答えを聞く用意はいいですか? 皆さん、もうお分かりですね。私たちの誰もが想像しうる以上に近づいています。

「お~頼みますよ。牧師さん。毎週仰ってるじゃないですか。」分かっていますよ。そして毎週言い続けますよ。なぜだと思います? なぜならそうだから。どういう意味? 私たちは非常に近づいています。

私たちは、教会携挙に非常に近いのです。あなたがどんな試練に遭遇しようともどんな困難な状況にいようとも どのような状況を経験していようとも、この健全な教義と真理を知りこの希望を持つことで、

それが非常に近いと知ることで、主にあってあなたを強くします。「非常に近いとどうやって分かるの?」

はい、感謝な事に、聖書は、、、考えてください。聖書には、このような終わりの時の世の姿をキャンバスに描いた預言が数多く、しかも膨大な量にわたって記されています。こんな風に言わせてください。神は私たちに知ってほしいと思っておられます。神は私たちが無知であるのを望んでおられません。(会衆:アーメン)神は私たちに知ってほしいと思っておられます。そうすれば私たちが油断せず、不意を突かれることがないように。パウロが書いたように、

「あなたがたに書き送る必要がありません。」(I テサロニケ 4:9)

ペテロが同じことを反復しています。第二礼拝でこのことを少しお話します。

「このことについて、あなたがたに書く必要はないでしょう。なぜなら、あなたがたにとって、主の日は盗人のようにやってきます。」(II ペテロ 3:10)

なぜか? あなたがたが期待しているからです。あなたがたはそれを見張っているからです。不意打ちを食らわされません。あなたがたは目が覚めて、冷静で、警戒し、準備はできているからです。神は私たちに準備することを望んでおられます。神は私たちが知るのを望んでおられます。神は、聖書預言と終わりの時について、私たちが無知であるのを望んでおられません。そして今、終わりの時です。こんにち世で起こっている事を見れば一目瞭然です。預言の点と点を繋げてください。超賢くある必要はありません。つまり、慈悲深く、大声で叫んでいる自分の牧師を見てください。ただ預言の点と点を繋げてください。ではよろしければ、3つの預言を話したいと思います。しかし、先に進みましょう。どれでも、、、ライブ配信を終了します。ー(笑)ー

 

ー本編ー

もう、それすらも分かりません。すごく悪くなっています。何という事でしょう。木曜礼拝「エレミヤ書8章」で、ユーチューブについて触れたんです。もうユーチューブはもう終ってる? なら、話していいね? ユーチューブについて触れたんです。お~何という事。彼らが動画を非公開にしたからみんな見れなかったんですよ。そうなんです。注射のこととか、そういうのは話してないんです。私はいつも、、、

とにかく、気にしません。何でも構いません。私はこれらの預言を皆さんと分かち合い、聖霊が皆さんに、これらの預言の点と点を繋ぐ手助けをして下さると信じます。しかし私は、たくさんある中から2つだけ紹介したいと思います。多くのうちの2つだけです。こんにち私たちが、間違いなく、7年の患難時代の直前、患難時代前携挙の寸前にいる、疑いない2つの理由です。2つだけです。

1つ目は、「地上の全ての国々が足並みを揃えている。」

理由があって、その単語を使っています。幾人かの方は、理由をご存知だと思います。皆さんこれを考えてほしいのです。人類の歴史上、地上のすべての国がこれほどまでに統一されたことはありません。 それが正に終わりの時に起こると言われている事です。つまり、このことだけでも、これだけでも、決まりです。地上のすべての国が足並み揃えることよりも、さらに具体的なのは、聖書預言は「欺かれているからだ」と語ります。今、その核心は、すべての層を剥がし、言わば人が言うように、カーテンの裏側を見ると、そこにあるのは ”コロナ”という言葉です。コロナ。それがこの全ての核心です。コロナが、地上のあらゆる国々を統一し、完全に足並みを揃えています。人類歴史、かつてなかったことです。このようなことは、今だかつてなく、これから二度と見ることはないでしょう。これが、私が携挙がもういつでも起こりうると考える一番の理由です。これだけでも。OK。ちょっと一息つかせてください。聖書の中の3つの預言、その全てが終わりの時の「欺瞞」「惑わす力」についてで、それに「滅び」を加えます。

「ダニエル書8章」23節から始めましょう。

ダニエル 8

23彼らの治世の終わりに、その背く者たちが行き着くところに至ったとき、横柄で策にたけた一人の王が立つ。

24彼の力は強くなるが、自分の力によるのではない。彼は、驚くべき破壊を行って成功し、有力者たちと聖なる民を滅ぼす。

25狡猾さによってその手で”欺き”を成し遂げ、心は高ぶり、平気で多くの人を滅ぼし、君の君(イエス)に向かって立ち上がる。しかし、人の手によらずに彼は砕かれる。

言い換えれば、残念だねぇ~!「第二テサロニケ2章」7節から、

II テサロニケ 2

7不法の秘密はすでに働いています。ただし、秘密であるのは、今引き止めている者が取り除かれる時までのことです。

8その時になると、不法の者が現れますが、主イエスは彼を御口の息をもって殺し、(待ちきれません)来臨の輝きをもって滅ぼされます。

9不法の者は、サタンの働きによって到来し、あらゆる力、偽りのしるしと不思議、(その偽りに徹する)

10また、あらゆる悪の”欺き”をもって、滅びる者たちに臨みます。彼らが滅びるのは、自分を救う真理を愛をもって受け入れなかったからです。

11それで神は、...(これは人によっては理解しがたいです)...それで神は、惑わす力を送られ、彼らは(その)偽りを信じるようになります。

12それは、真理を信じないで、不義を喜んでいたすべての者が、さばかれるようになるためです。

このことについて、少し説明すべきですね。これが神の側での不義だとは、決して思わないでください。

「それで神ご自身が、惑わす力を送られる?彼らは(その)偽りを信じるようになる? じゃあ、それって不公平に聞こえない?」ちょっと待ってください。彼らは既に選択しているのです。彼らの運命は既に決まっていて、彼らの心は既に頑なになっていて、彼らの心はもう決まっています。神は決してご自分を

押し付けるようなことはなさいません。神は彼らを引き渡されます。言っときますけど、聖書朗読や聖書の学びで泣きたくなります。「ローマ人への手紙1章」を見れば分かります。胸が張り裂けそうです。まるで神が、彼らを引き渡さねばならないかのようです。なぜなら、彼らが神を拒絶し、彼らはもう主を拒んでいるのです。彼らはもう決心はついているのです。彼らは単に邪悪なだけでなく、実際にその邪悪さを楽しんでいるのです。先週「エレミヤ書」で見ましたね。自分たちが行っていた悪事を実際、自慢していたのです。彼らは自慢して、現代風に言うなら 悪事をSNSに投稿していたのです。彼らは、自分たちが行っている悪と邪悪をとても誇りに思っていました。彼らはそれを自慢し、喜んでいたと使徒パウロは言います。ですから神はこう仰います。「分かりました。わたしはあなたに無理強いはしません。あなたは選んだのです。あなたはわたしを拒絶しました。ですから、どうぞ。」再度、エレミヤ書への言及、

繰り返しの参照をお許しください。でもピッタリなのです。ユダが当時行っていたことと、今の世の中のとの預言的類似性にゾッとし、驚愕します。その邪悪さ、その悪に。しかし神は、エレミヤに2度仰います。これも難しいのですが、

「この民のために祈ってはならない。わたしはあなたの願いを聞かないからだ。」(エレミヤ 7:16/11:1)

「エレミヤよ。祈るのを止めなさい。わたしは聞かないからです。あなたの呼吸を無駄にしてはいけません。」「待ってください。祈るのを止めるという意味ですか? 神が祈るのを止めるよう仰るのですか?」

ーそうです。「なぜですか?」「なぜなら、彼らは既に心を決めているからです。彼らは既にわたしを拒絶しました。彼らは他の神々に仕えています。バアルに、です。彼らは他の神々に香を捧げているのです。

神はエレミヤに宣言するように言われます。エレミヤはエルサレムの街角でこのことを語り、預言しているのです。ちょうど7章から10章までの、いわゆる「神殿メッセージ」が終わったところですが、エルサレムの神殿の門の入り口で エレミヤが預言し、宣言しています。「暗い見通しだ。裁きが来る!!

悔い改めなさい。」民は悔い改めません。事実、エレミヤが悲観的な説教をし、裁きが来ると言ったので、彼らは怒り、激怒し、そんな風に言うのは残念ですが、彼らはエレミヤの命を狙いました。彼らは基本的に、彼を殺し、黙らせ、彼を止めることを企んでいます。彼らはそれが聞きたくないのです。神はエレミヤに仰います。「彼らを自分たちが崇拝している神々、それも全く神でない神々のところへ行かせなさい。そして彼らのために祈ってはいけません。なぜなら、彼らは既に運命を決めてしまったからです。彼らの心は既に決まっているからです。」それが終わりの時の世の状態です。聞いてください。この質問をしていいですか? 私はこんにちの世を描写しましたか? ええ、それには理由があります。それがこんにちの世だからこんにちの世の描写なんです。私たちが正にそうなると語られている通りです。私が個人的に信じるのは、この強い惑わす力は既にあります。パウロが語る通り、不法は既に働いています。既に起こっています。私はただ困惑します。人々がいかに欺かれているか、いかに盲目であるか、本当に当惑します。ある意味、これで説明がつくのでしょうね。彼らは、真理、道、真理、そして命であるイエスを拒絶したのです。真理を拒絶すると、あなたは嘘に、偽りの父に自分自身を開放します。

では、3つ目、 私が全ての大もとと呼ぶ、「ヨハネの黙示録18章23節」です。これについては、これまでのアップデートで十分語ってきました。これはバビロン崩壊の患難時代の預言です。ヨハネが書くよう言われます。

黙示録 18

23ともしびの光も、おまえのうちで、もはや決して輝くことはない。花婿と花嫁の声も、おまえのうちで、もはや決して聞かれることはない。というのは、おまえの商人たちが地上で権力を握り、おまえの魔術によってすべての国々の民が惑わされ、

すべての国々の民が足並みを揃え、すべての国々の民です。95%とか97%とかではありません。違います。皆さん「すべて」という単語の原語知ってますか?大変深遠です。「すべて」は「全部」です。すべての国々の民が惑わされる。「何によって惑わされるの?」お~、Sorcery/ソーシャリーです。「それって何?」ファルマキア=医薬品、魔法、毒物、調合Sorcery/ソーシャリー=ファルマキア(薬・薬剤)

「待って。聖書に預言があるってこと?」ーはい、今読みました。「それって、地上のすべての国々が、医薬品の何かに騙される、先の未来の時を預言しているのですか?」いいえ、私がそう言っているのでは

ありません。神の御言葉がそう仰っています。私がかわい子ぶっているのではなく、それが預言なのです。ですから再度、この質問を皆さんにします。これが今、起こっていることですか? ですか?

では2つ目。1つ目に深く繋がっています。地上の全ての国の民が、足並み揃えるだけでなく、全ての世界経済がデジタルになります。再度、人類史上、かつてこんなの見たことありません。皆さん、これは、、、

悲しいです。何が起こるのかについて牧師が鳴らすべき警鐘を世俗的な経済学者が鳴らすのは悲しいです。ご存じですか?これらは、私たちは彼らを金融の専門家、世界の経済学者と呼んでいて、みんな同じことを言ってるんですよ。彼らは何を言っているのか?

「私たちが知っている通貨は無くなり、すべてがデジタル化される。」

その理由が分かりますか? なぜなら、世界中の経済が総崩れる寸前で、意図的だからです。コロナです。コロナ。コロナが、言わば、現在の世界経済を崩壊させ、デジタル・キャッシュレス経済を実現する支配解体の火薬として使われたのです。事実、今、ある場所で、、、前は冗談で言っていたのですが、私はもう冗談は言いません。実際笑えませんので。でもこう言っていたものでした。

「ここはまだ現金が使えるの?ははははは。」誰も現金を使わないから。みんなが「はい、カード。」もう笑えないので言いません。今は「現金は使えません。」という場所もありますから。事実、これはどうですか?「もうカードも使えません。」何ですって? じゃあ、どうやってお金を払うの?「お~、デジタルシステムを使って支払って下さい。スキャンします。それが支払い方法です。」「ちょっと待って。それって聖書じゃない?」ーはい、そうです。「ヨハネの黙示録13章」によく似ています。ーはい、なぜならそうだから。「黙示録13章15節から18節」を読みます。皆さんよくご存知ですが、私はここで2~3指摘します。

黙示録 13

15それから、その獣の像に息を吹き込んで、獣の像がものを言うことさえできるようにし、また、その像を拝まない者たちをみな殺すようにした。

さて、このためには、ある種の技術が必要であり、その技術は整っています。

16また獣は、すべての者に、すなわち、小さい者にも大きい者にも、富んでいる者にも貧しい者にも、自由人にも奴隷にも、その右の手あるいは額に刻印を受けさせた。

17また、その刻印を持っている者以外は、だれも物を売り買いできないようにした。刻印とは、あの獣の名、またはその名が表す数字である。

18ここに、知恵が必要である。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。それは人間を表す数字であるから。その数字は六百六十六である。

OK。いくつか指摘します。まずはじめに、像が物を言うというのは、かなり高度な技術のようですね。しかし、その高度な技術は10年先の話ではありません。今ここにあります。今ここにあります。

また、この獣の名前や名前の数字を表示する刻印やしるしや何かがないと売買できないのは、それが何であろうと、これがなければ、買おうとしているものを買うことも、売ろうとしているものを売ることもできない。つまり、それが必要になり、お付き合いください。複雑に考えすぎているわけではありません。しかし、一元管理されたある種のデジタルシステムが必要なのは当然でしょう。

一元管理/中央集権化=キーワード

そうすれば、それを実現するためすべての取引とすべての人を追跡することができる。それからまた、私にはこう聞こえます。極端なことを言うかもしれませんが、単純化しすぎるのもよくないと思います。しかし私にはこう聞こえます。このようなことを実現するためには、世界統一デジタル通貨が必要です。

そして、正にその通りなのです。それはもうここにあり、既に起こっています。中央集権銀行デジタル通貨(CBDC)になります。現在、暗号通貨は分散型ですが、これは中央集権型になります。ですから、このコントロールセンターがあり、そこで集中管理され、あなたに売買が可能かどうかが分かるのです。

これ聞いてください。こんな風に(指を鳴らすだけで)彼らは消せるのです。すると、シナリオに沿わない投稿をするとアカウント停止になります。アカウント停止。まあ、これが私のソーシャルメディアのアカウントです。「別のものを立ち上げるよ。」OK。どうぞどうぞ。じゃあ、停止されるのがソーシャルメディアのアカウントだけでなかったらどうでしょう? 停止されるのが銀行口座だったら? どういう意味ですか?「お~、あなたは遵守違反です。」では車について。ちょっとだけ、車の話をしましょう。彼らは車を停止させることができます。あなたは運転もできません。どうせ自分のものではないのですから、彼らがそれもコントロールするのです。知りませんか?聞きませんでしたか?「何も持たずに幸せになる」彼らが全てを支配します。ですから店舗に行くと、そこに到達できればの話ですが、お~因みに、彼らは、あなたがどこにいても、どこまで行けるかをコントロールできます。彼らはあなたの居場所を追跡し、監視し、正確に知ることができるから。この技術は、かなり以前からあるんですよ。数年前に息子に教えてもらいました。彼らは実際、あなたがどこにいるかだけでなく、たとえば家にいるのなら、どの部屋にいるのかも知っています。素敵な午後をお過ごしください。これ(携帯電話)? ーそうです。

彼らは私たちの上にいて、彼らは、、、私たちではないですよ。でも、誰かの上にいるのではなく 誰かの中にいることになります。ですから彼らは、 あなたがどこにいて、何をしていて、何を買って、何を売って、どこに行くのかを正確に知ることができます。遵守違反すれば、アカウントを停止され何もできなくなります。OK。私は、この預言のキャンバスに大雑把なブラシで描いているのは分かっています。しかしそれでも言っておきます。今お話したことは全て、既に起こっていることです。既に実現し始めています。5年後、10年後の話じゃないんです。今、既に行われている話です。

「では、説明してもらえますか?」もちろん。「黙示録18章23節」の預言によると、この医薬品の最終的解決策が記されています。それは、サタン的欺瞞に相対し、最終的に獣のしるしになるでしょう。

どうかご辛抱ください。現在の注射は、獣のしるしではありません。こういう質問をよくもらいます。

「悲しいことに、私は接種しました。私は救いを失ったのでしょうか?」ー絶対違います。

あなたが新生しているなら、再度、新生していない にはなれません。「お~あなたもその一人なんですね。一度救われれば、救われたままだと?」ちょっと待ってください。お付き合いください。もし、私が救いを失うことがあるのなら、それを維持するため、何かをせばならないという意味です。それは行いに聞こえますよね。私はそれを獲得せねばならない?

「私は、この恵みのゆえに、信仰によって救われたと思っていました。行いによるのではありません。神の賜物です。だれも誇ることのないためです。」(エペソ 2:8~9)

私には3人の子どもがいます。彼らは全員生まれました。彼らは生まれない、が出来ません。時に、特に10代の頃は特に......気にしないでください。しかし、意味は分かりますね? 一旦新生したら、新生しているのです。再度、新生していない になれません。一旦救われたら、救われているのです。救われていない、になれません。ちょっと待ってください。その聖句をすべて列挙し始めるとどうですか? そう、聞いてください。救われたと言ったり、公言したりする人が、実際には救われていない場合、それは救いを失ったのではありません。持っていないものを失うことはありません。あなたが新生しているなら、新生しています。救われています。

「完了した。」(ヨハネ 19:30)

エスがこう仰るのを想像できますか?「完了した。しかしながら、、、」ー(笑)ーあるいは、「完了した。もしも~するなら。」あるいは、「完了した。場合によります。」違います。「完了した。」以上。

それが、十字架上の完成された御業です。私たちがすることは何もありません。イエスがなさったのです。完了です。完了:フィニート(イタリア語)ハラッス(アラビア語)皆さん、アラビア語好きになりますよ。アラビア語で何か言うと、みんなに唾を飛ばします。

OK。では、私たちがこれをよく理解したかどうか見て、締めくくりましょう。ですから、牧師さん、今日のあなたの「聖書預言・アップデート」の前提は携挙が差し迫っていて、いつでも起こりうるということで、新生しているなら、その希望があるから、私にとってこれはとても励みになるはずで、あなたが信じているほど近いなら、それほど長くはないでしょう。私にとって不公平でさえあると思います。私が信じるほど近いのではなく、聖書が語る通りに近いのです。」

「ですから、7年の患難時代に起こると語られているあらゆることが、既に7年の患難時代前に起こっている事実から、そんなに近いのなら、それって一変しますよ。」はいそうです。しかし、それは双方作用です。このことを改めて強調したいと思います。今日のこの「聖書預言・アップデート」が、あなたにとって、励みになるか、恐怖になるかは、あなたとイエス・キリストという人物次第です。言い換えれば、今日、私が話したことがあなたの希望になり、踏ん張り、主が来られる励みになるなら、主を褒めたたえます。(会衆:アーメン)

しかし今日、私が話したことがあなたを震え上がらせるなら、それは、イエス・キリストという人物にある救いについて、あなたがどういう位置にいるかをよく表します。そう、私たち信者は、これらの事が起こり始めたら、顔を上げます。私たちの贖いが近づいているのを知っているからです。(ルカ21:28)

しかし、未信者には、扇情的に聞こえたくありませんが、警告です。最終警告になり得ます。それくらい、私たちは近づいています。そして、私はいつか申し開きをせねばなりません。

私は、主にこう言って貰いたいのです。

「良くやった。忠実なしもべよ。」(マタイ 25:21)

私は、こう言われるのを知って、怖気づいたり、挫けたり、屈服したりしなかったからです。「なあ、人々はこれを聞きたくないよ。」いいえ。私は真理を話さねばなりません。御言葉を宣べ伝えねばなりません。使徒パウロはこう言っています。

「福音を宣べ伝えないなら、私はわざわいです。」(I コリント 9:16)

 

福音(ふくいん)とは何でしょうか。福音とは、イエスが(地上に)来られ、十字架で死なれ、葬られ、

3日目によみがえられ、そしてある日戻って来られる事。まもなく、もう大変間近に。それが良い知らせです。福音=良い知らせです。「あなたの負債は支払われました。あなたは自由です。」ですから私たちは、

「救いのABC」をするのです。どうか、形式的にしないでください。これは子どもにでも分かる救いの説明なのです。非常に簡単です。

A:自分が神に背いた罪びとであるのを、Admit/認める または、Acknowledge/認識する。

自分が罪びとだと認めないと、本当に救い主に興味を持ちません。

ローマ人への手紙3章10節にあります。

「義人(正しい者)はいない。一人もいない。」

ローマ人への手紙3章23節がその理由です。

「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、」

罰則があるのです。悪い知らせですね。

それが、ローマ人への手紙6章23節、

「罪の報酬は死です。」(ローマ 6:23a)

死刑宣告です。私たち誰しもが罪びとで、誰もが死刑を宣告されているのです。私たち誰しもが、神の法を破っているから。私たち誰しもが、神の完全が義の基準に届いていないから。ですから、私たち誰しもが有罪で、死を宣告されているのです。しかし、良い知らせがあります。

「神の賜物(贈り物)は私たちの主キリスト・イエスによる永遠の命です。」(ローマ 6:23b)

 

B:あなたの心で、信じるだけ。イエス・キリストが主であると Believe/信じる。

ヨハネ 3

16神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子(イエス)を”信じる”者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

ローマ人への手紙10章9-10節

「あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。」

そして、Cです。信じる事、イエスに信頼を置く事の結果として生じます。C:主の御名を Call/呼び求める。

ローマ人への手紙10章9-10節、

「あなたの口でイエスは主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。」

「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ローマ10:10)

最後に、ローマ人への手紙10章13節、

『主の御名を呼び求める者はみな救われる。』

主はあなたを決して拒まれません。主を呼び求め、主を信じ、主に信頼を置いてください。あなたは救われます。それほどシンプルです。今日、あなたに切に願います。この教会に来られているか、オンラインで見ている人で、イエスに信頼を置いたことがないなら、他にどういえば良いか分かりません。しかし、今日が救いの日です。先延ばしにしないでください。たとえ、、、こう言いましょう。もしも、携挙が私たちが信じるように、また聖書に記されているように、まもなくではないとしても、明日の保証はありません。あなたには分かりません。そのことをヤコブの5章だと思いますが学びます。ヤコブがこう言います。

「今日か明日、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をしてもうけよう」と言っている者たち、よく聞きなさい。あなたがたには明日のことは分かりません。あなたがたのいのちとは、しばらくの間あらわれて、それで消えてしまう霧です。(ヤコブ 4:13~14)

あなたがたが言うべきは、「主の御心なら」なぜか? 明日は保証されていないからです。これを共有したいと思います。しばらく共有していなかったので、これを今日の "しかし、神は。ストーリー"証と一緒に締めくくります。

何年も前のことで、私は本当に主に対してかなり若かった頃、実は、私はかなり若かったんです。私はある里子の少年施設で奉仕しました。ある子がいて、彼はとてもかっこよかった。大変素敵な13歳の少年でした。黒人の子で、私の親友で、彼はとても素敵でした。私は彼に好感を持ちました。ある日のこと、その施設にいて、彼に福音を伝え、永遠の命を得るため人生で最も重要な決断をするのを求めるよう聖霊に促されるのを感じました。私はあたふたしてしまい、ヘマをして、しくじったんです。私が、聖霊の何が大好きかというと、聖霊が、すべてのヘマとしくじり、とりとめのないのを補ってくださる事です。口から言葉が出る前に、自分が伝えようとする人の心に調律して下さるのです。つまり、彼はその日、救われました。そんな私にも関わらず。こんな感じでした。彼が「はい。」と言って、私は「どうすればいい?」私はただ、聖霊に委ねました。私たちは、涙を流しながら祈りました。彼はイエスに信頼を置き、救われました。そしてその週、親しい友人から電話がありました。その子が遠足に行った場所で溺死したと。私は自分自身に思いました。「主よ、ありがとうございます。感謝します。」私はその子にまた会えるのです。待ちきれません。なんて嬉しいのでしょう。彼があの日に決断をしたことが。それが今日、あなたかもしれません。それが今日見ているあなたかもしれません。私は切に願います。どうかどうか。

では、今日の「しかし、神は。ストーリー」証で締めくくりましょう。キンバリー・ジェローさんからです。お名前を正しく発音していますように。

 

「こんにちは。JD牧師。私の”しかし、神は”の証をお伝えしたかったのです。今週、意外にも緊急救命室を受診しました。数週間前、鉄剤の点滴を受けました。貧血で今まで何度もしています。しかし、今回は 複雑な問題があるようです。ただ体調が悪く、胸壁が締め付けられ、息苦しくなっていました。

それで、緊急救命室に行く時だと思ったのです。医師と話し、「低リン酸血症」にかかっていることが分かりました。(そういう名称です)これは、リン酸塩が非常に少ない状態です。医師は、私の数値が0.6で、これは致命的で 命にかかわると言いました。救急救命室の専門医は、私がどうやって自力で歩いてきたのか、困惑していました。 ほとんどの人が昏睡状態になり、ICUに入るからです。しかし、神は。

私を自力で歩かせ救命救急室へ行かせられました。入院が必要な状態でしたので、私たち夫婦は主に、必須のコロナワクチンをどうか求められないよう祈りました。入院手続きをしている時、看護師が質問してきました。ワクチン接種をしたかどうかを。私は未接種だと言いました。その看護師は私を見て言いました。「私も未接種です。だから心配しないでください。」ー爆笑ー

その夜、病院のベッドで横になっていました。今まで「聖書預言・アップデート」を見逃したことはありません。あなたのメッセージ「夜明け前が常に一番暗い」を見ていました。あなたは、イエスの御言葉を引用し3回繰り返しました。

”恐れてはならない””恐れてはならない””恐れてはならない”

このメッセージは、ちょうどいいタイミングで主が与えて下さったと感じました。リン酸塩の注入と、数値が十分上がってきたことで、在宅介護で家に帰してもらえそうです。主を褒めたたえます。イエス様、私を見守り、見捨てないでくださることに感謝します。私の上にあるイエスの旗は愛です。イエス様、ありがとうございます。」ー拍手ー

カポノは上がってきてください。皆さんご起立ください。祈りで締めくくります。カポノが賛美で締めくくります。

 

主よ。私たちは、あのラッパが鳴るのを待ち望んでいます。イエス様、それが私たちの唯一の希望です。イエス様、あなたが唯一の希望です。私たちの希望は、この世にはありません。ここにはもう何もありません。私たちがしがみついていたもの、望んでいたものは、もうありません。それに感謝します。なぜなら、私たちはあなたに心を向け、あなたに目を向け、あなたを見つめ、あなたが約束されたように、再び来てくださいます。あなたが弟子たちに「行かなければならない」と仰ったのは、あなたが行って、御父の家に婚姻部屋を私たちのための場所を準備されるためです。そうでなかったら、あなたはこのことを私たちに仰らなかった、約束されなかったでしょう。

あなたがが行って、私たちに場所を用意されたら、また来て私たちをあなたのおられる場所に迎えてくださいます。(ヨハネ 14:2~3)あなたは、

弟子たちにこのことを仰いました。彼らの心が騒いでいたからです。主よ、今日ここで私の話を聞いている人、見ている人の中には、心を大きく悩ませている人がいます。恐らく、その人たちは恐れや不安でいっぱいで、絶望に変わっていっています。お~イエス様、お願いします。イエス様あなただけが御出来になる方法で、力づけ、励まし、あの希望を新たにし、私たちが忘れがちなことを、思い出させてください。この世が私たちの家ではなく、あなたが、私たちを家に連れて行くため来られる事を。

主よ、それが大変間近であるのを感謝します。

私たちは準備万端です。イエス様、ありがとうございます。イエスの御名によって。アーメン。

 

 

 

 

 

 

どうしたら救われますか。

Q. 質問

前回のQ&Aで、キリスト教の救いとは「神の怒りからの解放」だと教わりました。それが根源的な救いであるという説明に、とても納得しました。それで、どうしたら救われるのか知りたいと思いました。

A. 回答

前回のメッセージで、「救いとは、神の怒りから解放されることです」と申し上げました。納得していただき、ありがとうございます。「では、どうしたら救われるか」というのが、今日のテーマですね。これは、非常に重要なテーマです。
いつものように、3つ申し上げます。

1番目に、「自分で、自分を救うことはできない」と自覚することが重要です。ここからスタートです。

私たちは、どんなに努力しても、神様の聖さの基準に到達することはできません。ですから、「自力救済は不可能だ」ということをまず覚えてください。全ての人は、罪を犯したために、神からの栄誉を受けることができなくなっている、というのが聖書の教えです。

2番目に、「救いは神様からの一方的なプレゼントだ」ということを理解してください。

聖書が教える救いとは、贈り物なのです。ギフトなのです。

ゴスペルソングに、「アメイジング・グレイス」というのがありますが、日本語では「驚くばかりの恵みなりき」と言います。日本でも多くの方が、この歌が好きで歌ってらっしゃいます。実は、これは神様の恵みを体験した人の感謝の歌です。作者は、神様の恵みはプレゼントなんだ、ということを理解したわけです。

聖書が教える救いのメッセージを、「福音」と言います。つまり、「よい報せ」のことです。英語では「グッドニュース」ですね。福音を信じて神の赦しを受け取った人が感謝して歌うのが、アメイジング・グレイスです。

福音は、人間が考えたものではなくて、神様が啓示してくださったものです。神様が教えてくださったもの、それが福音です。ですから、聖書が伝える救いの方法というのは、人間の頭で考え出したものとは、根本的に違うのです。

3番目に、「では、福音とは何なのか」を理解してください。

救いは、福音の中にある3つの要素に同意することによって、与えられます。

  1. イエス・キリストは、あなたのために、わたしのために、あなたの罪のために、わたしの罪のために、十字架にかかり死んでくださった」。これは、身代わりの死です。専門的には、「贖罪の死」と言います。
  2. 「死んで墓に葬られた」。イエスは確かに肉体的な死を経験されました。
  3. 「3日目に死者の中から復活された」。イエスは死に勝利し、栄光の体に甦られたのです。つまり、イエスは今も生きておられるということです。

この3つの要素を理解し、イエス・キリストをそのようなお方として受け入れるなら、その人は救われます。これが、救いに至る唯一の道です。

信じる決心ができた方は、このように祈ってください。

「天の父なる神様、私は罪人でした。私の罪は、あなたの恵みによってしか解決されません。私は、イエス・キリストが『私の罪のために死なれたこと』、『墓に葬られたこと』、『3日目に復活されたこと』を信じます。主イエス・キリストの御名によって、祈ります。アーメン」

この祈りをされた方は、救われています。救いは、信仰と恵みによって与えられます。

参考になる聖句

「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません』」(ヨハネ福音書14:6)

「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです」(コリント人への手紙第一15:3)

祈ってみよう!

イエス・キリストを心に受け入れるにはどうしたらいい?

今、聖書に書かれている神の救いを、自分のものとして受け取りたいと思いますか?受け取る方法は簡単です!
神様がただ一つの救いの方法として示しておられる、イエス・キリストを心に迎える祈りをしてみましょう。あなたが良い人間である必要も、あなたが頑張り屋である必要もありません。祈り方はボタンをクリック!

お祈りの仕方を見る

 

 

福音・携挙はどれほど近づいているか。

 

2022.06.05. 聖書預言アップデート

携挙にどれほど近づいているのか

JDファラグ牧師

ja.jdfaragministries.com

今日の「聖書預言・アップデート」は、質問に答えたいと思います。その質問とは、

イエス・キリストの患難時代前教会携挙にどれほど近づいているのか?』

この1週間は、今日のアップデートについて主を求めて多くの時間を費やしました。そう、私の願いと祈りは、私が分かち合うものが、信者の方々への大きな励みになることです。特に、今の世の中で起きていることで特に、自分自身に非常に落胆している人へ。因みに、知ってほしいのは、落胆している皆さん、あなたがたはとても良い仲間です。聖書聖句には、神に力強く用いられた男女非常に落胆し、落ち込んでいる多くの人たちが記されています。「しかし、神は」常にそこにおられ、常に彼らを支え、常に彼らに提供され、常に彼らを力づけ、常に彼らを励まされます。敵に、あなたが落胆し落ち込んだりするのは信仰が足りない証拠だと、嘘をつかせ、思い込まさせ、騙させないでください。敵にそれをさせないでください。あなたが落胆しているなら、良い仲間です。そして、この「聖書預言・アップデート」はあなたの為です。落胆していないなら、できるだけ愛情を込めて、丁寧に言いたいと思いますが、この「聖書預言・アップデート」はあなたの為ではありません。あなたが物事の頂点にいて、全てが素ン晴らしく上手くいっているなら。そんなあなたは、動画やリンクを保存したいかもしれませんね。主の来臨が遅れるなら、あなたにはいつかそれが必要になります。しかし私は、本当に落ち込んで、落胆している人に話したいと思います。なぜなら詰まるところ、携挙は祝福ある希望なだけでなく、私たちの唯一の希望です。キーワード:希望(会衆:アーメン)

ですから、あなたの励みになることを願います。しかし、未信者への警告になる事も願い祈っています。信者には励ましですが、未信者には警告です。まず、私たちが親しみを込めて「携挙」と呼ぶこの突然の出来事について、聖書で語られる2つの預言から始めたいと思います。最初のは、よく知られている

「第一テサロニケ人への手紙4章」13節から始めます。これは使徒パウロが最初に書いた手紙です。これから見ていく通り、彼が福音を初めて書いた手紙です。「携挙」の文脈で、これが福音・良い知らせだと語ります。13節、

I テサロニケ 4

13眠っている人たちについては、兄弟たち、あなたがたに知らずにいてほしくありません。あなたがたが、望みのない他の人々のように悲しまないためです。

14イエスが死んで復活された(これが福音・良い知らせ)、と私たちが信じているなら、神はまた同じように、イエスにあって眠った人たちを、イエスとともに連れて来られるはずです。

15私たちは主のことばによって、あなたがたに伝えます。生きている私たちは、主の来臨まで残っているなら、眠った人たちより先になることは決してありません。

16すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、

これが肉体の復活です。

17それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

18ですから、これらのことばをもって互いに励まし合いなさい。

皆さんこのことばで励まされますか?(会衆:はい)私は励まされます。もう一歩踏み込んで言います。私がこれを言うのに、飽き飽きしないでほしいのですが、私は本当に分かりません。大袈裟な表現ではなく、この希望がなかったら、私はどうしたら良いのか本当に分かりません。もういつでもラッパが鳴り響き、キリストにある死者が先によみがえり、その時生き残っている私たちが、もういつでも引き上げられ、携挙され、空中で主と会うのです。私たちは、亡くなった人たちにも空中で再び会えるのです。彼らは、先に栄光の体になって、それから私たちが栄光の体になって、それだけでも、、、主イエスよ、早く来てください。実にそのことが「第一コリント15章51節52節」にあります。パウロ聖霊によって語ります。

I コリント 15

51聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな眠る(死ぬ)わけではありませんが、みな変えられます。

52終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。...

瞬きする間ではなく、瞬時にです。一瞬にです。終わりのラッパと共に、です。

...ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、(生き残っている)私たちは変えられるのです。

変容して変えられ、変貌します。私たちはこの肉体を脱ぎ捨て、、、この仮の、朽ちていく、腐敗した、肉の体を脱ぎ捨て、一瞬で栄光の体になります。そして私たちは、偉大な力と偉大な速度で引き上げられ空中で主と会うのです。これが携挙です。7年間の患難時代前に起こります。

この機会に、患難時代前携挙の証拠について、「聖書預言・アップデート」全てに捧げたことに触れておきたいと思います。(2020.08.09. 聖書預言/患難前携挙の証拠) 」もう一度言います。「患難前携挙の証拠」は理論ではありません。言うのも難しいですが、、、すみません。最前列の方に唾を飛ばして。水の洗礼を早めに始める事になりますね。ー(笑)ー 「患難前携挙」は健全な教義です。

その動画のリンクをウエブサイトに貼っておきます。ダウンロード可能の21ページのPDFに、類型論と動画文書版があります。先に進む前に1つお伝えします。今読んだ「第一テサロニケ4章」と「第一コリント15章」にも、”ラッパの響き”とあります。パウロが、コリント人への手紙で詳しく語り、「終わりのラッパ」と言及しています。「テサロニケ人への手紙」には、「神のラッパの響き」と書いています。私がそれを指摘する事が、なぜそんなに重要なのか?なぜなら、2種類のラッパがあるからです。

1つ目のラッパは、イスラエルの為です。

2つ目、最後のラッパは教会の為です。

御使いのラッパは、イスラエルの為。神のラッパ、それが教会の為です。どうかどうかどうか、その区別をしてください。もしもイスラエルと教会の区別をせず、その境界線を曖昧にするのなら、、、無理もありません。特にこの悪魔のような教義に屈しているなら、それは、悪魔の聖書教義です。この悪魔の教義は、教会が神の選民としてイスラエルに置き換わった、神がイスラエルを見捨てたと教えます。悪魔的です。悪魔の教義です。教会が置き換わるなら、、、そんなの話すことすら難しいですが、教会が神の民イスラエルに置き換わるなら、教会が患難時代に入る事になるのですよ。患難時代の目的は、イスラエル国家の救いです。教会がイスラエルなら、どうなります? 私たちが患難時代を経験するというの? 患難時代は、ヤコブイスラエル)の苦難の時です。ヤコブが何か知ってますね。別名、イスラエルです。

この話に入るつもりはありませんが、遅すぎます。歯磨き粉をチューブに戻せないと言う様に、もう歯磨き粉があちこちに散らばりました。ー(笑)ー 神はユダヤ人と契約しておられます。永遠のご契約です。

神はユダヤ人を見捨てておられません。神はユダヤ人にご計画があられます。教会はイスラエルではありません。ヤコブイスラエルで、(患難時代は)ヤコブの苦難の時であり、教会の苦難の時ではありません。私たちは患難時代にいません。私たちは救われています。7年間の患難時代を教会に経験させる目的は何だと言うのです? それで何ができるのでしょうか? 何の目的ですか? 何の目的もありません。主がご自分の花嫁をこの世から取り除かれ、教会時代が終わる時、主はご自分の民、イスラエルに全焦点を向けられます。主がイスラエルとあられる永遠のご契約です。それがダニエルの第70週の全目的です。それが、私たちが7年間の患難時代と呼ぶ最後の7年間です。それが、私たちが知っている人類歴史の最後の7年間を意味します。7年間の患難時代の終わりに、キリストが再臨されます。因みにそれが、使徒パウロ聖霊によって書いている、今読んだ「第一テサロニケ」で皆さん気づいておられるなら、私たちは主の側で、主の花嫁として、一緒に戻って来るのです。ある人が適切に言う通り、

携挙は、イエスが私たちの為に来られる。

再臨は、イエスが私たちと共に来られる。

それが7年間という期間で区別されています。ですから、神の預言時計が示す次の出来事は、教会携挙だと言えるのです。お許しいただきたいのですが、誰もそのことを話題にしません。それが牧師が一番に話すべきことです。もういつでも起こりえるのだから。人々はそれを知る必要があります。他に理由がないなら、人々が私たちと同じ希望が持てるように。なぜなら、もういつでもあのラッパが鳴って、携挙が起こり得るのを知っているから、そう、私はその日を乗り切れるのです。もう今日かもしれないのです。

そうでなかったら、どうやって一日をやり過ごせばいいのか分かりません。言いにくいんですが、先に言っておきます。繰り返しますが、大袈裟に言うのではありません。文字通り気が狂いそうです。教会携挙と知られるこの出来事で、私はこの世から連れ去られるこの希望がなければ、私は気が狂ってしまうでしょう。皆さんに言います。物事が難しくなるにつれ、事実、どんどん難しくなっていっています。世は益々邪悪になり、 事実、世は益々邪悪になっていっています。教会携挙と、その教会携挙緊迫性は、すべてのクリスチャンの思考と心の最前線にあるべきです。なぜなら、それが楽しみで仕方ないのが分かっていれば、どんな困難も乗り越え易くなります。踏ん張って、頑張れます。手に鋤をかけ続け、あの報酬に目を起き、主だけに心を留めます。ではこのことが、前述の質問「本当に、携挙にどれほど近づいているか?」に繋がります。答えを聞く用意はいいですか? 皆さん、もうお分かりですね。私たちの誰もが想像しうる以上に近づいています。

「お~頼みますよ。牧師さん。毎週仰ってるじゃないですか。」分かっていますよ。そして毎週言い続けますよ。なぜだと思います? なぜならそうだから。どういう意味? 私たちは非常に近づいています。

私たちは、教会携挙に非常に近いのです。あなたがどんな試練に遭遇しようともどんな困難な状況にいようとも どのような状況を経験していようとも、この健全な教義と真理を知りこの希望を持つことで、

それが非常に近いと知ることで、主にあってあなたを強くします。「非常に近いとどうやって分かるの?」

はい、感謝な事に、聖書は、、、考えてください。聖書には、このような終わりの時の世の姿をキャンバスに描いた預言が数多く、しかも膨大な量にわたって記されています。こんな風に言わせてください。神は私たちに知ってほしいと思っておられます。神は私たちが無知であるのを望んでおられません。(会衆:アーメン)神は私たちに知ってほしいと思っておられます。そうすれば私たちが油断せず、不意を突かれることがないように。パウロが書いたように、

「あなたがたに書き送る必要がありません。」(I テサロニケ 4:9)

ペテロが同じことを反復しています。第二礼拝でこのことを少しお話します。

「このことについて、あなたがたに書く必要はないでしょう。なぜなら、あなたがたにとって、主の日は盗人のようにやってきます。」(II ペテロ 3:10)

なぜか? あなたがたが期待しているからです。あなたがたはそれを見張っているからです。不意打ちを食らわされません。あなたがたは目が覚めて、冷静で、警戒し、準備はできているからです。神は私たちに準備することを望んでおられます。神は私たちが知るのを望んでおられます。神は、聖書預言と終わりの時について、私たちが無知であるのを望んでおられません。そして今、終わりの時です。こんにち世で起こっている事を見れば一目瞭然です。預言の点と点を繋げてください。超賢くある必要はありません。つまり、慈悲深く、大声で叫んでいる自分の牧師を見てください。ただ預言の点と点を繋げてください。ではよろしければ、3つの預言を話したいと思います。しかし、先に進みましょう。どれでも、、、ライブ配信を終了します。ー(笑)ー

 

ー本編ー

もう、それすらも分かりません。すごく悪くなっています。何という事でしょう。木曜礼拝「エレミヤ書8章」で、ユーチューブについて触れたんです。もうユーチューブはもう終ってる? なら、話していいね? ユーチューブについて触れたんです。お~何という事。彼らが動画を非公開にしたからみんな見れなかったんですよ。そうなんです。注射のこととか、そういうのは話してないんです。私はいつも、、、

とにかく、気にしません。何でも構いません。私はこれらの預言を皆さんと分かち合い、聖霊が皆さんに、これらの預言の点と点を繋ぐ手助けをして下さると信じます。しかし私は、たくさんある中から2つだけ紹介したいと思います。多くのうちの2つだけです。こんにち私たちが、間違いなく、7年の患難時代の直前、患難時代前携挙の寸前にいる、疑いない2つの理由です。2つだけです。

1つ目は、「地上の全ての国々が足並みを揃えている。」

理由があって、その単語を使っています。幾人かの方は、理由をご存知だと思います。皆さんこれを考えてほしいのです。人類の歴史上、地上のすべての国がこれほどまでに統一されたことはありません。 それが正に終わりの時に起こると言われている事です。つまり、このことだけでも、これだけでも、決まりです。地上のすべての国が足並み揃えることよりも、さらに具体的なのは、聖書預言は「欺かれているからだ」と語ります。今、その核心は、すべての層を剥がし、言わば人が言うように、カーテンの裏側を見ると、そこにあるのは ”コロナ”という言葉です。コロナ。それがこの全ての核心です。コロナが、地上のあらゆる国々を統一し、完全に足並みを揃えています。人類歴史、かつてなかったことです。このようなことは、今だかつてなく、これから二度と見ることはないでしょう。これが、私が携挙がもういつでも起こりうると考える一番の理由です。これだけでも。OK。ちょっと一息つかせてください。聖書の中の3つの預言、その全てが終わりの時の「欺瞞」「惑わす力」についてで、それに「滅び」を加えます。

「ダニエル書8章」23節から始めましょう。

ダニエル 8

23彼らの治世の終わりに、その背く者たちが行き着くところに至ったとき、横柄で策にたけた一人の王が立つ。

24彼の力は強くなるが、自分の力によるのではない。彼は、驚くべき破壊を行って成功し、有力者たちと聖なる民を滅ぼす。

25狡猾さによってその手で”欺き”を成し遂げ、心は高ぶり、平気で多くの人を滅ぼし、君の君(イエスに向かって立ち上がる。しかし、人の手によらずに彼は砕かれる。

言い換えれば、残念だねぇ~!「第二テサロニケ2章」7節から、

II テサロニケ 2

7不法の秘密はすでに働いています。ただし、秘密であるのは、今引き止めている者が取り除かれる時までのことです。

8その時になると、不法の者が現れますが、主イエスは彼を御口の息をもって殺し、(待ちきれません)来臨の輝きをもって滅ぼされます。

9不法の者は、サタンの働きによって到来し、あらゆる力、偽りのしるしと不思議、(その偽りに徹する)

10また、あらゆる悪の”欺き”をもって、滅びる者たちに臨みます。彼らが滅びるのは、自分を救う真理を愛をもって受け入れなかったからです。

11それで神は、...(これは人によっては理解しがたいです)...それで神は、惑わす力を送られ、彼らは(その)偽りを信じるようになります。

12それは、真理を信じないで、不義を喜んでいたすべての者が、さばかれるようになるためです。

このことについて、少し説明すべきですね。これが神の側での不義だとは、決して思わないでください。

「それで神ご自身が、惑わす力を送られる?彼らは(その)偽りを信じるようになる? じゃあ、それって不公平に聞こえない?」ちょっと待ってください。彼らは既に選択しているのです。彼らの運命は既に決まっていて、彼らの心は既に頑なになっていて、彼らの心はもう決まっています。神は決してご自分を

押し付けるようなことはなさいません。神は彼らを引き渡されます。言っときますけど、聖書朗読や聖書の学びで泣きたくなります。「ローマ人への手紙1章」を見れば分かります。胸が張り裂けそうです。まるで神が、彼らを引き渡さねばならないかのようです。なぜなら、彼らが神を拒絶し、彼らはもう主を拒んでいるのです。彼らはもう決心はついているのです。彼らは単に邪悪なだけでなく、実際にその邪悪さを楽しんでいるのです。先週「エレミヤ書」で見ましたね。自分たちが行っていた悪事を実際、自慢していたのです。彼らは自慢して、現代風に言うなら 悪事をSNSに投稿していたのです。彼らは、自分たちが行っている悪と邪悪をとても誇りに思っていました。彼らはそれを自慢し、喜んでいたと使徒パウロは言います。ですから神はこう仰います。「分かりました。わたしはあなたに無理強いはしません。あなたは選んだのです。あなたはわたしを拒絶しました。ですから、どうぞ。」再度、エレミヤ書への言及、

繰り返しの参照をお許しください。でもピッタリなのです。ユダが当時行っていたことと、今の世の中のとの預言的類似性にゾッとし、驚愕します。その邪悪さ、その悪に。しかし神は、エレミヤに2度仰います。これも難しいのですが、

「この民のために祈ってはならない。わたしはあなたの願いを聞かないからだ。」(エレミヤ 7:16/11:1)

「エレミヤよ。祈るのを止めなさい。わたしは聞かないからです。あなたの呼吸を無駄にしてはいけません。」「待ってください。祈るのを止めるという意味ですか? 神が祈るのを止めるよう仰るのですか?」

ーそうです。「なぜですか?」「なぜなら、彼らは既に心を決めているからです。彼らは既にわたしを拒絶しました。彼らは他の神々に仕えています。バアルに、です。彼らは他の神々に香を捧げているのです。

神はエレミヤに宣言するように言われます。エレミヤはエルサレムの街角でこのことを語り、預言しているのです。ちょうど7章から10章までの、いわゆる「神殿メッセージ」が終わったところですが、エルサレムの神殿の門の入り口で エレミヤが預言し、宣言しています。「暗い見通しだ。裁きが来る!!

悔い改めなさい。」民は悔い改めません。事実、エレミヤが悲観的な説教をし、裁きが来ると言ったので、彼らは怒り、激怒し、そんな風に言うのは残念ですが、彼らはエレミヤの命を狙いました。彼らは基本的に、彼を殺し、黙らせ、彼を止めることを企んでいます。彼らはそれが聞きたくないのです。神はエレミヤに仰います。「彼らを自分たちが崇拝している神々、それも全く神でない神々のところへ行かせなさい。そして彼らのために祈ってはいけません。なぜなら、彼らは既に運命を決めてしまったからです。彼らの心は既に決まっているからです。」それが終わりの時の世の状態です。聞いてください。この質問をしていいですか? 私はこんにちの世を描写しましたか? ええ、それには理由があります。それがこんにちの世だからこんにちの世の描写なんです。私たちが正にそうなると語られている通りです。私が個人的に信じるのは、この強い惑わす力は既にあります。パウロが語る通り、不法は既に働いています。既に起こっています。私はただ困惑します。人々がいかに欺かれているか、いかに盲目であるか、本当に当惑します。ある意味、これで説明がつくのでしょうね。彼らは、真理、道、真理、そして命であるイエスを拒絶したのです。真理を拒絶すると、あなたは嘘に、偽りの父に自分自身を開放します。

では、3つ目、 私が全ての大もとと呼ぶ、「ヨハネの黙示録18章23節」です。これについては、これまでのアップデートで十分語ってきました。これはバビロン崩壊の患難時代の預言です。ヨハネが書くよう言われます。

黙示録 18

23ともしびの光も、おまえのうちで、もはや決して輝くことはない。花婿と花嫁の声も、おまえのうちで、もはや決して聞かれることはない。というのは、おまえの商人たちが地上で権力を握り、おまえの魔術によってすべての国々の民が惑わされ、

すべての国々の民が足並みを揃え、すべての国々の民です。95%とか97%とかではありません。違います。皆さん「すべて」という単語の原語知ってますか?大変深遠です。「すべて」は「全部」です。すべての国々の民が惑わされる。「何によって惑わされるの?」お~、Sorcery/ソーシャリーです。「それって何?」ファルマキア=医薬品、魔法、毒物、調合Sorcery/ソーシャリー=ファルマキア(薬・薬剤)

「待って。聖書に預言があるってこと?」ーはい、今読みました。「それって、地上のすべての国々が、医薬品の何かに騙される、先の未来の時を預言しているのですか?」いいえ、私がそう言っているのでは

ありません。神の御言葉がそう仰っています。私がかわい子ぶっているのではなく、それが預言なのです。ですから再度、この質問を皆さんにします。これが今、起こっていることですか? ですか?

では2つ目。1つ目に深く繋がっています。地上の全ての国の民が、足並み揃えるだけでなく、全ての世界経済がデジタルになります。再度、人類史上、かつてこんなの見たことありません。皆さん、これは、、、

悲しいです。何が起こるのかについて牧師が鳴らすべき警鐘を世俗的な経済学者が鳴らすのは悲しいです。ご存じですか?これらは、私たちは彼らを金融の専門家、世界の経済学者と呼んでいて、みんな同じことを言ってるんですよ。彼らは何を言っているのか?

「私たちが知っている通貨は無くなり、すべてがデジタル化される。」

その理由が分かりますか? なぜなら、世界中の経済が総崩れる寸前で、意図的だからです。コロナです。コロナ。コロナが、言わば、現在の世界経済を崩壊させ、デジタル・キャッシュレス経済を実現する支配解体の火薬として使われたのです。事実、今、ある場所で、、、前は冗談で言っていたのですが、私はもう冗談は言いません。実際笑えませんので。でもこう言っていたものでした。

「ここはまだ現金が使えるの?ははははは。」誰も現金を使わないから。みんなが「はい、カード。」もう笑えないので言いません。今は「現金は使えません。」という場所もありますから。事実、これはどうですか?「もうカードも使えません。」何ですって? じゃあ、どうやってお金を払うの?「お~、デジタルシステムを使って支払って下さい。スキャンします。それが支払い方法です。」「ちょっと待って。それって聖書じゃない?」ーはい、そうです。「ヨハネの黙示録13章」によく似ています。ーはい、なぜならそうだから。「黙示録13章15節から18節」を読みます。皆さんよくご存知ですが、私はここで2~3指摘します。

黙示録 13

15それから、その獣の像に息を吹き込んで、獣の像がものを言うことさえできるようにし、また、その像を拝まない者たちをみな殺すようにした。

さて、このためには、ある種の技術が必要であり、その技術は整っています。

16また獣は、すべての者に、すなわち、小さい者にも大きい者にも、富んでいる者にも貧しい者にも、自由人にも奴隷にも、その右の手あるいは額に刻印を受けさせた。

17また、その刻印を持っている者以外は、だれも物を売り買いできないようにした。刻印とは、あの獣の名、またはその名が表す数字である。

18ここに、知恵が必要である。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。それは人間を表す数字であるから。その数字は六百六十六である。

OK。いくつか指摘します。まずはじめに、像が物を言うというのは、かなり高度な技術のようですね。しかし、その高度な技術は10年先の話ではありません。今ここにあります。今ここにあります。

また、この獣の名前や名前の数字を表示する刻印やしるしや何かがないと売買できないのは、それが何であろうと、これがなければ、買おうとしているものを買うことも、売ろうとしているものを売ることもできない。つまり、それが必要になり、お付き合いください。複雑に考えすぎているわけではありません。しかし、一元管理されたある種のデジタルシステムが必要なのは当然でしょう。

一元管理/中央集権化=キーワード

そうすれば、それを実現するためすべての取引とすべての人を追跡することができる。それからまた、私にはこう聞こえます。極端なことを言うかもしれませんが、単純化しすぎるのもよくないと思います。しかし私にはこう聞こえます。このようなことを実現するためには、世界統一デジタル通貨が必要です。

そして、正にその通りなのです。それはもうここにあり、既に起こっています。中央集権銀行デジタル通貨(CBDC)になります。現在、暗号通貨は分散型ですが、これは中央集権型になります。ですから、このコントロールセンターがあり、そこで集中管理され、あなたに売買が可能かどうかが分かるのです。

これ聞いてください。こんな風に(指を鳴らすだけで)彼らは消せるのです。すると、シナリオに沿わない投稿をするとアカウント停止になります。アカウント停止。まあ、これが私のソーシャルメディアのアカウントです。「別のものを立ち上げるよ。」OK。どうぞどうぞ。じゃあ、停止されるのがソーシャルメディアのアカウントだけでなかったらどうでしょう? 停止されるのが銀行口座だったら? どういう意味ですか?「お~、あなたは遵守違反です。」では車について。ちょっとだけ、車の話をしましょう。彼らは車を停止させることができます。あなたは運転もできません。どうせ自分のものではないのですから、彼らがそれもコントロールするのです。知りませんか?聞きませんでしたか?「何も持たずに幸せになる」彼らが全てを支配します。ですから店舗に行くと、そこに到達できればの話ですが、お~因みに、彼らは、あなたがどこにいても、どこまで行けるかをコントロールできます。彼らはあなたの居場所を追跡し、監視し、正確に知ることができるから。この技術は、かなり以前からあるんですよ。数年前に息子に教えてもらいました。彼らは実際、あなたがどこにいるかだけでなく、たとえば家にいるのなら、どの部屋にいるのかも知っています。素敵な午後をお過ごしください。これ(携帯電話)? ーそうです。

彼らは私たちの上にいて、彼らは、、、私たちではないですよ。でも、誰かの上にいるのではなく 誰かの中にいることになります。ですから彼らは、 あなたがどこにいて、何をしていて、何を買って、何を売って、どこに行くのかを正確に知ることができます。遵守違反すれば、アカウントを停止され何もできなくなります。OK。私は、この預言のキャンバスに大雑把なブラシで描いているのは分かっています。しかしそれでも言っておきます。今お話したことは全て、既に起こっていることです。既に実現し始めています。5年後、10年後の話じゃないんです。今、既に行われている話です。

「では、説明してもらえますか?」もちろん。「黙示録18章23節」の預言によると、この医薬品の最終的解決策が記されています。それは、サタン的欺瞞に相対し、最終的に獣のしるしになるでしょう。

どうかご辛抱ください。現在の注射は、獣のしるしではありません。こういう質問をよくもらいます。

「悲しいことに、私は接種しました。私は救いを失ったのでしょうか?」ー絶対違います。

あなたが新生しているなら、再度、新生していない にはなれません。「お~あなたもその一人なんですね。一度救われれば、救われたままだと?」ちょっと待ってください。お付き合いください。もし、私が救いを失うことがあるのなら、それを維持するため、何かをせばならないという意味です。それは行いに聞こえますよね。私はそれを獲得せねばならない?

「私は、この恵みのゆえに、信仰によって救われたと思っていました。行いによるのではありません。神の賜物です。だれも誇ることのないためです。」(エペソ 2:8~9)

私には3人の子どもがいます。彼らは全員生まれました。彼らは生まれない、が出来ません。時に、特に10代の頃は特に......気にしないでください。しかし、意味は分かりますね? 一旦新生したら、新生しているのです。再度、新生していない になれません。一旦救われたら、救われているのです。救われていない、になれません。ちょっと待ってください。その聖句をすべて列挙し始めるとどうですか? そう、聞いてください。救われたと言ったり、公言したりする人が、実際には救われていない場合、それは救いを失ったのではありません。持っていないものを失うことはありません。あなたが新生しているなら、新生しています。救われています。

「完了した。」(ヨハネ 19:30)

エスがこう仰るのを想像できますか?「完了した。しかしながら、、、」ー(笑)ーあるいは、「完了した。もしも~するなら。」あるいは、「完了した。場合によります。」違います。「完了した。」以上。

それが、十字架上の完成された御業です。私たちがすることは何もありません。イエスがなさったのです。完了です。完了:フィニート(イタリア語)ハラッス(アラビア語)皆さん、アラビア語好きになりますよ。アラビア語で何か言うと、みんなに唾を飛ばします。

OK。では、私たちがこれをよく理解したかどうか見て、締めくくりましょう。ですから、牧師さん、今日のあなたの「聖書預言・アップデート」の前提は携挙が差し迫っていて、いつでも起こりうるということで、新生しているなら、その希望があるから、私にとってこれはとても励みになるはずで、あなたが信じているほど近いなら、それほど長くはないでしょう。私にとって不公平でさえあると思います。私が信じるほど近いのではなく、聖書が語る通りに近いのです。」

「ですから、7年の患難時代に起こると語られているあらゆることが、既に7年の患難時代前に起こっている事実から、そんなに近いのなら、それって一変しますよ。」はいそうです。しかし、それは双方作用です。このことを改めて強調したいと思います。今日のこの「聖書預言・アップデート」が、あなたにとって、励みになるか、恐怖になるかは、あなたとイエス・キリストという人物次第です。言い換えれば、今日、私が話したことがあなたの希望になり、踏ん張り、主が来られる励みになるなら、主を褒めたたえます。(会衆:アーメン)

しかし今日、私が話したことがあなたを震え上がらせるなら、それは、イエス・キリストという人物にある救いについて、あなたがどういう位置にいるかをよく表します。そう、私たち信者は、これらの事が起こり始めたら、顔を上げます。私たちの贖いが近づいているのを知っているからです。(ルカ21:28)

しかし、未信者には、扇情的に聞こえたくありませんが、警告です。最終警告になり得ます。それくらい、私たちは近づいています。そして、私はいつか申し開きをせねばなりません。

私は、主にこう言って貰いたいのです。

「良くやった。忠実なしもべよ。」(マタイ 25:21)

私は、こう言われるのを知って、怖気づいたり、挫けたり、屈服したりしなかったからです。「なあ、人々はこれを聞きたくないよ。」いいえ。私は真理を話さねばなりません。御言葉を宣べ伝えねばなりません。使徒パウロはこう言っています。

「福音を宣べ伝えないなら、私はわざわいです。」(I コリント 9:16)

 

福音(ふくいん)とは何でしょうか。福音とは、イエスが(地上に)来られ、十字架で死なれ、葬られ、

3日目によみがえられ、そしてある日戻って来られる事。まもなく、もう大変間近に。それが良い知らせです。福音=良い知らせです。「あなたの負債は支払われました。あなたは自由です。」ですから私たちは、

「救いのABC」をするのです。どうか、形式的にしないでください。これは子どもにでも分かる救いの説明なのです。非常に簡単です。

A:自分が神に背いた罪びとであるのを、Admit/認める または、Acknowledge/認識する。

自分が罪びとだと認めないと、本当に救い主に興味を持ちません。

ローマ人への手紙3章10節にあります。

「義人(正しい者)はいない。一人もいない。」

ローマ人への手紙3章23節がその理由です。

「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、」

罰則があるのです。悪い知らせですね。

それが、ローマ人への手紙6章23節、

「罪の報酬は死です。」(ローマ 6:23a)

死刑宣告です。私たち誰しもが罪びとで、誰もが死刑を宣告されているのです。私たち誰しもが、神の法を破っているから。私たち誰しもが、神の完全が義の基準に届いていないから。ですから、私たち誰しもが有罪で、死を宣告されているのです。しかし、良い知らせがあります。

「神の賜物(贈り物)は私たちの主キリスト・イエスによる永遠の命です。」(ローマ 6:23b)

 

B:あなたの心で、信じるだけ。イエス・キリストが主であると Believe/信じる。

ヨハネ 3

16神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子(イエスを”信じる”者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

ローマ人への手紙10章9-10節

「あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。」

そして、Cです。信じる事、イエスに信頼を置く事の結果として生じます。C:主の御名を Call/呼び求める。

ローマ人への手紙10章9-10節、

「あなたの口でイエスは主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。」

「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ローマ10:10)

最後に、ローマ人への手紙10章13節、

『主の御名を呼び求める者はみな救われる。』

主はあなたを決して拒まれません。主を呼び求め、主を信じ、主に信頼を置いてください。あなたは救われます。それほどシンプルです。今日、あなたに切に願います。この教会に来られているか、オンラインで見ている人で、イエスに信頼を置いたことがないなら、他にどういえば良いか分かりません。しかし、今日が救いの日です。先延ばしにしないでください。たとえ、、、こう言いましょう。もしも、携挙が私たちが信じるように、また聖書に記されているように、まもなくではないとしても、明日の保証はありません。あなたには分かりません。そのことをヤコブの5章だと思いますが学びます。ヤコブがこう言います。

「今日か明日、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をしてもうけよう」と言っている者たち、よく聞きなさい。あなたがたには明日のことは分かりません。あなたがたのいのちとは、しばらくの間あらわれて、それで消えてしまう霧です。(ヤコブ 4:13~14)

あなたがたが言うべきは、「主の御心なら」なぜか? 明日は保証されていないからです。これを共有したいと思います。しばらく共有していなかったので、これを今日の "しかし、神は。ストーリー"証と一緒に締めくくります。

何年も前のことで、私は本当に主に対してかなり若かった頃、実は、私はかなり若かったんです。私はある里子の少年施設で奉仕しました。ある子がいて、彼はとてもかっこよかった。大変素敵な13歳の少年でした。黒人の子で、私の親友で、彼はとても素敵でした。私は彼に好感を持ちました。ある日のこと、その施設にいて、彼に福音を伝え、永遠の命を得るため人生で最も重要な決断をするのを求めるよう聖霊に促されるのを感じました。私はあたふたしてしまい、ヘマをして、しくじったんです。私が、聖霊の何が大好きかというと、聖霊が、すべてのヘマとしくじり、とりとめのないのを補ってくださる事です。口から言葉が出る前に、自分が伝えようとする人の心に調律して下さるのです。つまり、彼はその日、救われました。そんな私にも関わらず。こんな感じでした。彼が「はい。」と言って、私は「どうすればいい?」私はただ、聖霊に委ねました。私たちは、涙を流しながら祈りました。彼はイエスに信頼を置き、救われました。そしてその週、親しい友人から電話がありました。その子が遠足に行った場所で溺死したと。私は自分自身に思いました。「主よ、ありがとうございます。感謝します。」私はその子にまた会えるのです。待ちきれません。なんて嬉しいのでしょう。彼があの日に決断をしたことが。それが今日、あなたかもしれません。それが今日見ているあなたかもしれません。私は切に願います。どうかどうか。

では、今日の「しかし、神は。ストーリー」証で締めくくりましょう。キンバリー・ジェローさんからです。お名前を正しく発音していますように。

 

「こんにちは。JD牧師。私の”しかし、神は”の証をお伝えしたかったのです。今週、意外にも緊急救命室を受診しました。数週間前、鉄剤の点滴を受けました。貧血で今まで何度もしています。しかし、今回は 複雑な問題があるようです。ただ体調が悪く、胸壁が締め付けられ、息苦しくなっていました。

それで、緊急救命室に行く時だと思ったのです。医師と話し、「低リン酸血症」にかかっていることが分かりました。(そういう名称です)これは、リン酸塩が非常に少ない状態です。医師は、私の数値が0.6で、これは致命的で 命にかかわると言いました。救急救命室の専門医は、私がどうやって自力で歩いてきたのか、困惑していました。 ほとんどの人が昏睡状態になり、ICUに入るからです。しかし、神は。

私を自力で歩かせ救命救急室へ行かせられました。入院が必要な状態でしたので、私たち夫婦は主に、必須のコロナワクチンをどうか求められないよう祈りました。入院手続きをしている時、看護師が質問してきました。ワクチン接種をしたかどうかを。私は未接種だと言いました。その看護師は私を見て言いました。「私も未接種です。だから心配しないでください。」ー爆笑ー

その夜、病院のベッドで横になっていました。今まで「聖書預言・アップデート」を見逃したことはありません。あなたのメッセージ「夜明け前が常に一番暗い」を見ていました。あなたは、イエスの御言葉を引用し3回繰り返しました。

”恐れてはならない””恐れてはならない””恐れてはならない”

このメッセージは、ちょうどいいタイミングで主が与えて下さったと感じました。リン酸塩の注入と、数値が十分上がってきたことで、在宅介護で家に帰してもらえそうです。主を褒めたたえます。イエス様、私を見守り、見捨てないでくださることに感謝します。私の上にあるイエスの旗は愛です。イエス様、ありがとうございます。」ー拍手ー

カポノは上がってきてください。皆さんご起立ください。祈りで締めくくります。カポノが賛美で締めくくります。

 

主よ。私たちは、あのラッパが鳴るのを待ち望んでいます。イエス様、それが私たちの唯一の希望です。イエス様、あなたが唯一の希望です。私たちの希望は、この世にはありません。ここにはもう何もありません。私たちがしがみついていたもの、望んでいたものは、もうありません。それに感謝します。なぜなら、私たちはあなたに心を向け、あなたに目を向け、あなたを見つめ、あなたが約束されたように、再び来てくださいます。あなたが弟子たちに「行かなければならない」と仰ったのは、あなたが行って、御父の家に婚姻部屋を私たちのための場所を準備されるためです。そうでなかったら、あなたはこのことを私たちに仰らなかった、約束されなかったでしょう。

あなたがが行って、私たちに場所を用意されたら、また来て私たちをあなたのおられる場所に迎えてくださいます。(ヨハネ 14:2~3)あなたは、

弟子たちにこのことを仰いました。彼らの心が騒いでいたからです。主よ、今日ここで私の話を聞いている人、見ている人の中には、心を大きく悩ませている人がいます。恐らく、その人たちは恐れや不安でいっぱいで、絶望に変わっていっています。お~イエス様、お願いします。イエス様あなただけが御出来になる方法で、力づけ、励まし、あの希望を新たにし、私たちが忘れがちなことを、思い出させてください。この世が私たちの家ではなく、あなたが、私たちを家に連れて行くため来られる事を。

主よ、それが大変間近であるのを感謝します。

私たちは準備万端です。エス様、ありがとうございます。イエスの御名によって。アーメン。

 

 

 

 

 

 

どうしたら救われますか。

Q. 質問

前回のQ&Aで、キリスト教の救いとは「神の怒りからの解放」だと教わりました。それが根源的な救いであるという説明に、とても納得しました。それで、どうしたら救われるのか知りたいと思いました。

A. 回答

前回のメッセージで、「救いとは、神の怒りから解放されることです」と申し上げました。納得していただき、ありがとうございます。「では、どうしたら救われるか」というのが、今日のテーマですね。これは、非常に重要なテーマです。
いつものように、3つ申し上げます。

1番目に、「自分で、自分を救うことはできない」と自覚することが重要です。ここからスタートです。

私たちは、どんなに努力しても、神様の聖さの基準に到達することはできません。ですから、「自力救済は不可能だ」ということをまず覚えてください。全ての人は、罪を犯したために、神からの栄誉を受けることができなくなっている、というのが聖書の教えです。

2番目に、「救いは神様からの一方的なプレゼントだ」ということを理解してください。

聖書が教える救いとは、贈り物なのです。ギフトなのです。

ゴスペルソングに、「アメイジング・グレイス」というのがありますが、日本語では「驚くばかりの恵みなりき」と言います。日本でも多くの方が、この歌が好きで歌ってらっしゃいます。実は、これは神様の恵みを体験した人の感謝の歌です。作者は、神様の恵みはプレゼントなんだ、ということを理解したわけです。

聖書が教える救いのメッセージを、「福音」と言います。つまり、「よい報せ」のことです。英語では「グッドニュース」ですね。福音を信じて神の赦しを受け取った人が感謝して歌うのが、アメイジング・グレイスです。

福音は、人間が考えたものではなくて、神様が啓示してくださったものです。神様が教えてくださったもの、それが福音です。ですから、聖書が伝える救いの方法というのは、人間の頭で考え出したものとは、根本的に違うのです。

3番目に、「では、福音とは何なのか」を理解してください。

救いは、福音の中にある3つの要素に同意することによって、与えられます。

  1. イエス・キリストは、あなたのために、わたしのために、あなたの罪のために、わたしの罪のために、十字架にかかり死んでくださった」。これは、身代わりの死です。専門的には、「贖罪の死」と言います。
  2. 「死んで墓に葬られた」。イエスは確かに肉体的な死を経験されました。
  3. 「3日目に死者の中から復活された」。イエスは死に勝利し、栄光の体に甦られたのです。つまり、イエスは今も生きておられるということです。

この3つの要素を理解し、イエス・キリストをそのようなお方として受け入れるなら、その人は救われます。これが、救いに至る唯一の道です。

信じる決心ができた方は、このように祈ってください。

「天の父なる神様、私は罪人でした。私の罪は、あなたの恵みによってしか解決されません。私は、イエス・キリストが『私の罪のために死なれたこと』、『墓に葬られたこと』、『3日目に復活されたこと』を信じます。主イエス・キリストの御名によって、祈ります。アーメン」

この祈りをされた方は、救われています。救いは、信仰と恵みによって与えられます。

参考になる聖句

「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません』」(ヨハネ福音書14:6)

「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです」(コリント人への手紙第一15:3)

祈ってみよう!

イエス・キリストを心に受け入れるにはどうしたらいい?

今、聖書に書かれている神の救いを、自分のものとして受け取りたいと思いますか?受け取る方法は簡単です!
神様がただ一つの救いの方法として示しておられる、イエス・キリストを心に迎える祈りをしてみましょう。あなたが良い人間である必要も、あなたが頑張り屋である必要もありません。祈り方はボタンをクリック!

お祈りの仕方を見る

 

 

 

仏教とは人間が考えた哲学であり、神に背を向けた虚無思想に救いはあるのか。

 

上記より抜粋

 

2022.03.24.【吹替版】「仏教」Mac牧師

こんばんは。JD牧師の代講です。ここカルバリーチャペル・カネオヘの週半ば「聖書の学び」へようこそ。通常、旧約聖書を一行一行学んでいますが、今夜は話題性のある学びをします。しかし学びに入る前に、心から一緒に祈りましょう。

愛する天のお父様。あなたが引き受けて下さるようお願いするためあなたの下へ来ています。あなたの真理の御言葉を、聞きたいと思う全ての人に語ってください。このメッセージを受け取るため、私たちの心を整えてください。私たちを教育し、今夜の教えを通しここで成し遂げられるすべてのことに、あなたの栄光を見せてください。主よ、難しい内容です。私に機転を与え、この壊れた器を直してください。私が話すことすべて、あなたのことであり、あなたの御声を聞く人々の耳を調律してくださいように。

主よ、あなたの子どもたちに語りかけてください。私たちは皆、聞いています。救世主イエス・キリストの力強い御名によって祈ります。アーメン。

もう「おおっ」という声が聞こえてきますね。ー(笑)ー 何も言ってないのに! ー(笑)ー 主よ、、、

 

今夜は、仏教の信仰や宗教について学びます。これは、いろいろな意味で取り組むのが大変です。この種の話題は、今夜共に学ぶこの時間が、この宗教の表面を擦ることにさえならないでしょう。しかし私たちが世に出て行って証しする時の土台となるよう祈ります。この(仏教)宗教には、現在に至るまで進化を続ける写本があります。だから、話し合いが必要なんです。とても奥が深いです。同時に、時間が限られているからといって無理をすることなくそのために、単純化するわけにはいきません。なぜなら、それでは正当に評価されないし、またでないと、私たちの信仰に関して、彼らの質問に答えられる、より良い証人になれないでしょうから。ですから最低限、今夜のゴールは、仏教に関してより良い証人になることです。最低限、それが目標です。仏教の話をする最大の理由は、神がそう仰ったからです。私は題材を選ぶことはしません。神から題材を教えてもらうんです。それから私は主に祈ります。主が私を教育し、私の手を強くし、主が提供されたものを提供できるように。そうなるんです。そして、ここハワイでも興味深いことに、仏教は東洋の宗教として最も人気があります。そしてアメリカでは、実際、仏教が発展していて、その理由もいくつかあります。それは、欧米化しているからです。クリスチャン言語が吹き込まれているのです。だから、人々はそれに惹かれるのです。おそらく、他の理由も見えてくるでしょう。広い意義で考えると、特にこんにち、なぜこれほどまでに影響力があるのか。クリスチャン的言語を使うだけでなく、ニューエイジ運動と融合しているからです。有名人が多く、彼らの多くは、少なくとも部分的には仏教徒であると主張します。中には、クリスチャンだと公言している人、あるいは、かつてクリスチャンであった人もいます。ティナ・ターナーみたいに。知ってましたか? 彼女はその一人です。

マーク・ザッカーバーグジョージ・ルーカスシャロン・ストーンタイガー・ウッズ選手、リチャード・ギア。その他多数。たくさんいます。皆さんの中に、仏教徒として育った方や、ご家族に仏教徒がいらっしゃる方はたぶん多いのではないでしょうか。たぶん、ここにおられるかオンラインで見ている方で仏教徒がいるかもしれませんね。もしそうなら、イエス・キリストを信じる真の信者が、なぜ神が存在し、唯一の神だと知るようになったのか、心を開き素直に耳を傾けてほしいです。その神への唯一の道は、イエス・キリストを通してです。ですから 私たちは、できる限り最善の方法で、仏教の核心に迫ろうと思います。しかしそのためには仏教の主な教義を見る前に、仏教の歴史に触れなければなりません。

では、仏教という宗教は、どこから来たのでしょうか。

答え:インドです。インドが仏教発祥の地です。それを持ち出すのは、私が仏教や仏陀に出会ったのは、11歳くらいの時だったからです。叔父の家でのことです。叔父は海外から帰ってきて、言わば仏像や偶像をいくつか持って帰ったのです。叔父は、その中に香を入れ、香を焚くのです。私はお香の香りが好きで、尋ねました。「あれは誰?」「仏陀だよ。」私は「お~仏陀ね。」となりました。で、数年後、叔父が仏陀を崇拝するために香を焚いていたのではないことがわかったのです。彼らは自分たちがしている他のことのために香りで隠していたのです。ー爆笑ー

当時私は、仏陀はもともとアジアにいるものだと思っていました。毎週土曜日1:00にカンフー・シアターが放映されたからです。マジですよ。それが、私の感想です。ですからここで取り上げるのは、インドが発祥の地である、です。そこで誕生しました。私たちは仏教とは何なのか、その本質を探っていきます。その経緯と内容を。まず第一に世界で4番目に大きな宗教です。仏教はヒンズー教の分派です。そのため、多くの点で言語が同じですヒンズー教から生まれたからです。ヒンズー教の階級制度が原因で仏教が生まれたと歴史家は指摘します。ですから、そこから生まれました。この制度は、基本的に人々を5つの社会集団に分類します。その社会集団の頂点に位置するのがバラモン教です。ここには僧侶・学者・教師がいます。次が、クシャトリヤ族です。戦士や兵隊です。そして、ヴァイシャ。農業や商業に携わっている人たちです。そして、シュードラ族です。この階級制度における農民や召使いです。最後に ダリット、つまり不可触民です。道路清掃人や追放された人たちです。このピラミッドシステムのようなものを見てみると、結局は全体主義と密接に整合しているのが分かると思います。結果はほぼ同じです。なぜなら、金持ちはより金持ちになり、そして貧乏人はより貧乏になる。そういうことです。なぜそうなるのか? ええ、カルマ信仰が大きいからです。

「あなたは、社会的カーストや階級にいる。以前にやったことのゆえに、現在、この場所に属するのだ。あなたが上に上がることは、私にとって大きな関心事ではない。あなたは会費を払う必要があり、すると次の人生が良くなるだろう。」と。皆さん、その思考回路が分かりますか? そして、長年のこの階級制度の中で、何度か暴動が起こりました。剣を持って立ち上がって反逆を起こすようなことではなく、哲学的暴動を何度も何度も繰り返すのです。それから仏陀と呼ばれるようになる人が、これらの反乱の中で、最も影響力のある哲学者の一人であったことがわかります。シッダールタ・ゴータマこれが彼の名前です。紀元前560年ごろに生まれました。仏教に関連した教えの数々を残したとされています。このような経緯があります。彼は裕福な家庭に生まれました。彼が王の子として生まれたと言う人もいます。彼が神官や学者というカースト集団に属していたという説もあります。クシャトリヤ族だったという説もあります。しかし私のリサーチした中で一番信じるのは、彼が王の息子だったという事です。それを今夜見ていきます。29歳の時、彼の人生は大きく動き出します。それが、ゴータマが馬車で、自分の公園の1つを訪れたと言われている時期です。彼はそれまで、宮殿の門の外に出たことはありませんでした。だからこれが、門の外に行くのは彼には初めての経験です。言わば、人生を謳歌するために。それで彼は、初めて馬車に乗り、年老いた老人に会いました。その年老いた老人が、彼に揺さぶりをかけてきました。それで彼は、すぐに宮中に戻るように言いました。ですから彼は、宮殿に戻りました。それから、彼は勇気を振り絞って3回ほど出かけ直します。次の機会で、病人に出くわすことになります。そして3回目の旅で死人を見ることになります。彼は、今まで生きてきた中でそういう者を見たことがありません。彼は、痛み、苦しみ、死についてある程度説明されたでしょう。それが、彼を震わせ、動揺させました。そして4回目の旅に出ます。この4回目の旅で、彼はローブを着て頭を剃った人に会います。彼はシャーマンでした。もっと言えば、修行僧、または求道者というべきでしょうか。その人は、穏やかな物腰で、ゴータマはそれに感銘を受けました。その日の夜、彼は家に帰り、家族に別れを告げました。彼は自己の解放を求め、この旅に出たのです。それは続きます。仏陀の信奉者の一人が書いています。「彼はついに40昼夜、木の下に座った。そして『探し求める事を見つけるまで動かない』と心に誓った。この期間 邪悪な存在マーラが、彼に探求をあきらめさせようとした。40日の終わりに、彼は神の意識の最高域である涅槃を経験した。涅槃は、欲望の炎を吹き消す、吹き飛ばすという意味で、苦しみの終わりを意味する。」しかし 実はこれには定義がありません。なぜなら仏陀は誰にもそれを与えなかったからです。すべて暗黙/言外です。(続けます)

「しかし、その体験を通して、彼は救いを見つけたと思った。それ以来、彼は仏陀”または "悟りを開いた者 "と呼ばれるようになった。」それが、仏陀の意味です。逃げ場がないようなカースト制度に生まれ変わるのとはわけが違い、仏陀は、仏陀の八正道をたどることで、この世から救われる、あるいは逃れられるというプランを提示した。この八正道には、仏陀は、正しい信念、正しい決意、正しい言葉、正しい行為、正しい生活、正しい努力、正しい思考、正しい瞑想によって涅槃に至ることができると語った。

さてこれらおのおのが、人によって違い、理解度によって、教え方が違うのです。私にある疑問は、涅槃に到達するための教えを、実際に行っているのは誰なのか。ある学者は、瞑想のサイクルの間に、過去の仏陀があなたに語りかけ、出会うこれらの道に導くと答えています。しかし再度、三大宗派の教えは、仏教教典同様に、みんな違う意見を持っているんです。この八正道に書かれていることを、1つ残らず正確に実行するのです。全部違うんですよ。これを見ると これらは外部で測れる絶対的なプロセスを持たない記述であることに注意する必要があります。「正しい」という基準が具体的に決められていないからです。皆さん、ついてきてますか? クリスチャンの信仰で、私たちの基準はイエス・キリストです。その完璧さには誰も応えられません。神以外私たちの誰もが完全ではないからです。しかし、神は私たちに"その道 "を示す完璧な御言葉を与えておられます。私たちクリスチャンは、救い主であるイエス・キリストを信じなければなりません。私たちの信仰から、主はご自分の完全性を私たちの上に置いてくださいます。私たちは、自分では何もできません。私たちはイエスを頼ります。それが正しい信仰です。神が私たちに正しい決意を与え、神の御言葉が、永遠の命である正しい人生につながる正しい行為を生み出す正しい言葉なのです。神が正しい努力や働きを教えてくださり、正しい考えを持つため、私たちの心は神にとどまるべきです。正しい黙想は 「詩篇1篇1-2節」に記されています。神の御言葉をお読みします。

詩篇 1

1悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。

2このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う(黙想)。

聖書は真理を語るばかりでなく、その真理を私たちに示すものです。神の真理には、あいまいな表現はありません。どれも絶対的です。それが大きな違いです。仏陀は、4つの高貴な真理があると説いたと言われています。

これらの高貴な真理は: ・苦しみの真理・苦しみの原因の真理・苦しみの終わりの真理・苦しみを終わらせる道という真理

その道とは、先ほど話した「八正道」だそうです。この信仰の中にある苦しみに取り組むというのがこれです。これは、多くの人を引きつけます。なぜなら、この方法は、苦しみの問題に直接的な答えを与えてくれるように思えるからです。しかしその方法は、苦しみの原因を個人の問題とし、個人の克服によって取り除くもので、それが「八正道」です。何が起きているか分かりますか? 個人として、苦しみが八正道によって取り除かれるという事。しかし再度、誰が、この八正道の基準を指示したのか。曖昧で自己決定的な感じがするからです。それが分かりますか? ある修行僧がこう言っていて、私の言いたいことを表しています。引用します。

「それは、一人ひとりが守り、実践し、発展させるべき生き方だ。体・言葉・心の自己鍛錬、自己開発、自己浄化である。信仰、祈り、礼拝、儀式とは関係がない。その意味で、宗教的と呼ばれるような人気なものは何もない。それは、道徳的、霊的、知的な完成を通して、究極の現実の実現、完全な自由、幸福、平和に至る道だ。」引用終了。

繰り返しますが、誰の基準なのか? 答えは、あなた自身の基準のようです。あなたの究極の現実に基づき、何が正しいかというあなたの理解を基礎に、あなたの道徳的、霊的、知的完全性を通して、あなたの完全な自由、あなたの幸福、そしてあなたの平和のために。私がそう言うのは、彼らによれば、苦しみは個人によってしか取り除くことができないからです。この件に関しては、もっと多くのことが書かれています。しかし、これは背景を説明するための高レベルなものです。私たちは、聖書の観点から苦しみを取り上げます。仏陀は、苦しみの真理は、あらゆる種類の渇望、願望、または執着から生じると語ります。それを考えてください。仏陀曰く、何かに執着することが、渇望や願望を持つことと同様苦しみの原因。

聞いていますか? これについて考えてください。もし私が涅槃の境地を求めているとしたら、どうでしょうか。皆さん、聞いてます? ー(笑)ー それって自虐的な発言ですよ。では、願望はすべて善ではありません。しかしクリスチャンとして、私たちは願望が悪いものでもないことを知っています。実に「詩篇27篇4節」神の御言葉をお読みします。

詩篇 27

4わたしは一つの事を主に願った、わたしはそれを求める。わたしの生きるかぎり、主の家に住んで、主のうるわしきを見、その宮で尋ねきわめることを。

私たちにとって、これはよい願望です。これは敬虔な願望です。「詩篇37篇4節」神の御言葉をお読みします。

詩篇 37

4主によって喜びをなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。

仏教徒の友人に聞いてみる必要がありますね。彼らは本当にすべての願望を取り除けると思っているのでしょうか? 考えるべきことだと思います。繰り返しますが、その願望を取り除くのを望んだら? ー(笑)ー どんな罠にはまるか、わかりますよね? 私たちの究極の願望は、神に向くことで、神が私たちの心を正してくださいます。これは、誰もが持つ最高の願望です。仏陀が神に対してこのような願望を持たなかったのには理由があります。彼は不可知論者だったからです。これが何を意味するのか、私たち全員が同じ考えがあるのを確認するため以下が不可知論者の定義です。

「神の存在や性質、あるいは物質的な現象を超えたものについては何も知られていない、知ることもできないと考える人、あるいは神に対する信仰も不信も主張しない人。」

それが不可知論者です。明らかに、これはクリスチャンとして信じていることではありません。神は、誰もが見ることができる被造物を通し御自身を知られただけでなく、弁解の余地がありませんよ。 神はまた、その民を通して、ご自分の御子イエス・キリストを通して、聖なる御言葉を通し聖なる御霊の力によってご自分を知られるようにされました。人々がこういうような発言をする時、「あなたが、これやそれを知ることができない。あなたがこれやそれを分かれない。」私が彼らに質問したいのは、「じゃああなたは、私が知れないことをどうやって知れるのか?」これは、最大の無知と定義され、あるいはそのための言葉です。そういう意味合いを含みます。私はわからない。あなたがわかるはずがない。人々はそれをいつも使います。しかし 神は御自身を知っておられ、そして、これからもそうし続けられます。こんにちの世を見てください。私たちの目の前で、「預言」が成就しているのです。「預言」は、仏教や他のどんな宗教でも決して語られることのないものです。もし彼らがするなら、偽です。私たちは皆、主を知ることができます。みんなが。人々が主を求め始めることを祈ります「箴言8章17節」神の御言葉をお読みします。

箴言 8

17わたしは、わたしを愛する者を愛する、わたしをせつに求める者は、わたしに出会う。

真の英知を見出すことは、真の生ける神を見いだし、畏れることです。それが真の英知です。神は私たちに仰います。「神は、神を愛する者を愛する、神をせつに求める者は、神に出会う。」自分自身へではありません。仏教では、内を見よと言います。しかし神は、神を見なさいと仰います。私たちではなく、神を。では、苦しみについてですが、確かに邪悪な欲望と同一視されることがあります。エデンの園でも、私たちはそれを見ました。善悪の知識の木から食べたいと思う願望です。その願望は神に逆う事でした。しかし願望よりも”行為”が問題だったのです。その神に反抗する行為が、世の苦しみを引き起こしました。

その行為は罪深いです。“罪”が 問題なのです。罪があるから、すべての苦しみが存在するのです。これを仏教徒に説明する必要があります。問題は、罪なのです。すべての苦しみを終わらせる真の道は、キリスト・イエスにあります。人が神と和解することを願い、私たち皆のために苦しまれた方です。永遠が始まるその時、すべての苦しみが終わります。しかし、その時までは苦しみがあります。こんにち私たちは、自分の中でさえも苦しんでいることを目の当たりにしました。しかし、イエス・キリストを信じる私たちは、栄光が待ち受けているのを知っています。私たちだけでなく、すべての創造物(被造物)にとって、罪はすべてを分断しました。罪のために宇宙全体が分断されたのです。「ローマ人への手紙8章18-21節」

に記されています。神の御言葉をお読みします。

ローマ 8

18今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます。

19被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。

20被造物が虚無に服したのは、自分の意志からではなく、服従させた方によるものなので、彼らには望みがあるのです。

21被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。

その日が来ると、万物は回復します。罪が問題です。罪は、すべての悪があるところです。私の仏教徒の友人に対して、以下が大きな違いです。何が正しいか間違っているかは、誰が決めるのでしょうか? 社会? いくつかの文章を見ました。たくさんありますね。でも、誰が決めるんですか? 仏教の教えの多くは、私たちが考えるような道徳的な規範を扱っています。私たちが信じていることと一致するものもあります。疑問なしに。しかし仏教におけるそれらの道徳規範は、主観的なものです。主観的です。私たち(クリスチャン)の道徳規範は客観的なものです。そして変わりません。不変の神から来たものだからです。神が私たちにそれらを下さいました。世界宗教としての仏教の始まりは、紀元前500年頃と言われています。仏教を実践している人たちが、クリスチャンに語ることの1つが、

「仏教という宗教はキリストが誕生する483年前に生まれた。」彼らはこの点を、仏陀の教えがイエスの教えより前にあったと立証するため、大きく取り上げます。しかしこの議論には、見落としている大きなポイントがあると信じます。イエスの言葉が神の御言葉であるということです。

人間の目的、人間の堕落、人間の救済計画について、すでに語られていました。イエスは、これらの真理の教えを説き、目的を果たすために来られたのです。これは創世記から、預言者を通して理解されていました。既にありました。この聖書年表に、紀元前500年を赤丸で囲んで、その位置を示します。その左を見ると、分かるでしょう。それ以外のすべてが、事前に起こっています。この全てが、すでに決定されていました。世は、キリスト教新約聖書だけに限定したがっています。強調しすぎる教会もあるくらいです。「私たちは新約聖書の教会だ!」そうですか。しかし、教会が設立されたとき彼らはどのような聖句を読んだのでしょうか。ん?「使徒の働き17章11節」ベレヤ人たちは何をしましたか? 彼らは毎日聖句を調べました。何の聖句なのか? 旧約聖書です。それしか持ってなかったんです。そのため最低でも 仏教に関連する著書や教えを比較するなら、仏教は旧約聖書に比するべきです。他の方法ではなく。

ついてきてますか? 仏教にまつわる文章といえば、私が聞きたいのは、この宗教に関する哲学や著書の量は、どの程度まで知られ、議論され、追随されているのか。それは、私の仏教徒の友人たちが自分自身に問いかけるべきことです。自分が信じていると言っていることについて、自分はどの程度知っているのか? 自分が行っているのは、儀式や瞑想の実践だけなのか? 素朴な疑問です。私がそう言うのは、非常に興味深いのが、私が更に調べ始めたとき、この宗教の教義に向けられた文章が20万ページ以上あることが分かったからです。この宗教の教義に向けられたものですよ。単なる解説の話ではありません。そうではなく、彼らが正典、聖なるものと見なしたものを話しているのです。20万ページです!

これを踏まえて考えてみましょう。平均的な聖書は1400ページあります。ついてきてますか? もちろん仏陀死後も、多くの信奉者によって、仏陀に関連するあらゆる書物が書かれ、更に私が言ったように、現在も追加で書物が書かれているのは言うまでもありません。こんにちに至るまで、彼の教えとされているものです。著書の量はほぼ無限大です。クリスチャンとして私たちは、このことについてほぼ特別な警告を受けました。「伝道者の書12章12-13節」神の御言葉をお読みします。

伝道者 12

12わが子よ、これら以外の事にも心を用いよ。多くの書を作れば際限がない。多く学べばからだが疲れる。

13事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。

これは警告です。私たちはこれを理解する必要があります。私たちは、神のものでないものに研究に研究を重ね、消耗してはいけません。終わりがないのです。もし神の御言葉が20万ページあるとしたら、皆さん、想像できますか? 入り口で敗退。アマゾンで買ったとしたら…「聖書を配達してもらえませんか?」「はい。全部運ぶのに約1年かかります。」莫大な量です。クリスチャンとして、私たちには1冊の書があります。事実、それが "Book/書 "という名称です。それが、聖書の意味です。”Book/書” 仏教は、皆さんわかりますね。その情報量の多さ。その道があなたの人生を左右します。私たち(クリスチャン)は命を得、そしてその道を歩みます。私の言っている意味がわかりますか? 聖典に書かれていることすべてを分からなければならない必要すらありません。エスを知ること、イエスを信じること、福音を信じることです。それがいのちであり、私たちはその道を歩むのです。仏陀から派生した著書物とは異なり、この聖書聖典の著者はすべて、真の生ける神に信頼を置いています。

神:それは自己満足の知恵ではなく、神から授かったものです。

しかし仏教では、明らかに、知恵を得るための教えは、仏陀自身からもたらされたものです。そう言われているのです。「伝道者の書」をみると、仏陀が言っていることがわかります。なぜなら、『伝道者の書』は そのほとんどが、神がいないかのように書かれているからです。それが正に仏陀が語る著書の数々です。

”空の空、いっさいは空である”(伝道者12:8)

「あなたの言うとおり、神はいない。」「たしかに、神はいないね。」そうありますが、ソロモンが正しい結論を導き出します。

「神が見えると、私たちは自分の本当の価値に気づき、神のために創造され、神への責務を知るようになる。」

仏教のどこにあなたの価値はありますか? あなたは誰に責務があるのですか? 仏教は他人のためにある、という主張にもかかわらず、実は「無」を理解するために、自分自身を中心に据えたものです。繰り返しますが、仏教徒としてこれに従う多くの人々は、これを忠実に守っているわけではありませんがこれが信仰の核となるものです。仏教には信徒(俗人)もいて、自分自身が仏教徒になるための直接の教えを求めない人たちが信徒です。彼らはサポートをします。彼らは誓いを立て、それを守ることを約束します。そのうちの5つを話します。

1)人を殺してはいけない。

2)盗んではいけない。

3)性的不品行をしてはいけない。

4)酒に溺れてはいけない。

5)霊的達成感を偽ってはいけない。

この考え方、あるいはここで語られている事に私たちの誰も反対する人はいないと思います。彼らのためのこれらの誓いは一度にする必要はありません。1つずつでも、色々な組み合わせでもいいんです。しかしこれらの誓いの主な目的は、非道な行いを慎むことだと僧侶は言います。もう一度、素人にとっての目標は、功徳、善行、善行為を積み重ねることです。これらの誓いは、短期間で行うことができ、放棄することも、生涯をかけることもできます。さてここで何が起こり始めるかわかりますよね。魅力的だから。頭に入れてください。修道僧や尼僧を経済的に支え、祝福してきたのは、一般市民です。誓いを立てると、お金を渡して祝福してくれるのです。また、金銭的な面だけでなく、他の面でも必ず祝福されます。

なぜ? 僧侶が、人々に代わって負のカルマを軽減するため仲裁をするからです。ー引用ー

仏陀は、長寿、美、幸福、名声を得る手段を信者に示し、天国で生まれ変わり、誠実な努力によって得た富の蓄積を奨励。」引用終了

それが何を導き出すか、わかりますか? その一方、言葉は悪いですが「中道、中庸の道、保守的な道」

という教えがあります。でも、それから、長寿と美のために、幸福、名声、天国で生まれ変わるため富を蓄積することを奨励しているのです。これを矛盾と思わない人もいます。彼らはこう言うからです。

「さあその財産は、僧侶だけでなく、一般人にも活用されます。慈善事業であり、一般人ができる最高の行為です。」ここで私たちは、慈善事業を問題視しているわけではありません。あなたが与えたいなら、

与えてください。慈善事業は良い事です。宗教と組み合わせた場合、

質問:これは心から与えられたものなのか、それとも 見返りを期待しての行為なのか?

でしょ? 続けます。ー引用ー

「寛大さの実践、特にサンガのような功利的な対象に向けられている場合、(サンガは僧侶です。)さらなる富を生み出し、家人(または贈り主)が家族に幸福を与え、友人を養い、火事や泥棒や敵から逃れ、客人や君主を敬い、サンガに更に供え物を捧げられる、と仏陀は賞賛。」

これがどうなるか、わかりますよね。繁栄のための支払いという感じです。多くの教会が全く同じことをしています。現在極東では、おそらくこの問題はないでしょう。当たり前のことを、当たり前にやっている。何とも思わない。しかしこの観念形態が西洋で提示されると、これこそ西洋の仏教がそうなります。もう一度言います。ニューエイジ運動と完全に一致し映し出します。それが、今のここアメリカの現状です。このような行いや功利的な幸運のシステムは、頻繁に神秘主義や迷信、悪魔の存在を過度に呼び込むような慣習につながります。真の生ける神がいなければ、この世の神である悪魔がどんなに高貴に見えることだったとしても、全てに自分の指紋を残すでしょう。また仏陀は、宇宙には始まりがないと説きました。仏陀曰く、宇宙は常に存在し、常に存在するさまざまな段階を経て再創造され続けていると語ります。もっともっと奥が深いんです。しかしこれが、 彼が信じ、教えたことの根底です。始まりはなく、自己が存在しないことを悟り、自己を消滅させることで苦しみから解放され、終わりを迎えるという思想です。仏陀は、宇宙、私が先ほど話した涅槃、始まりと終わりについて、多くの鋭い質問をされました。

彼は決して答えず、答えを出すことを拒否しました。私たちはこんにち、仏教徒の友人たちに質問をするのがよいでしょう。彼らの言葉を使わなければなりません。それが鍵だからです。彼らが使う言葉を。耳を傾け、聞くと、こういう風になります。「折り返してもいい?」皆さん、恥をかかないように。そうでしょ? 尋ねれる質問はこうです。もし、始まりがなかったとしたら、では、なぜ存在しない今があるのか。大多数の人々の人生が、生まれ変わりの連続したサイクルならなぜ確実に記憶していることを誰も示したことがないのか。しかし、私たちのすべては、常にあるこの連続的な再生の一部なはずで、仏陀も示さなかった涅槃を達成しない限りはこの本当に非現実的な世界で、私たちが見続けている苦しみに基づけば、苦しみは常にあるのです。これは皮肉ではありません。彼らが使う言葉を使った決定的な質問です。そして、多くの人が答えないでしょう。その書物には、始まりと終わりを扱うことはほとんど議論されない、ひんしゅくを買うとさえ書かれています。その理由を自分に問いかけてみてください。私の仏教徒の友人へ、そういう発言に、本当に人生を賭けていいのですか? 仏教徒の友人にもう1つ質問があります。深刻な質問です。生きたいという思いはありますか? それについて考えますか? あなたがそう考えるのを祈ります。事実私たちは皆、生きたいという願望があります。私たちは、状況が違うことを望んでいるかもしれません。しかし私たちは皆、生きたいという願望があります。その生きたいという気持ちには理由があります。また「伝道者の書3章11節神の御言葉をお読みします。

伝道者 3

11神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。(私たちの心にです)それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。

私たちの心には、永遠が宿っています。神の初めから終わりまでの御業は、私たちが決して見きわめることはできません。しかし神は、私たちに神を求める永遠の心を与えてくださいました。私たちは、神とともに永遠に生きるために創造されました。だからこそ、私たちは「生きたい」と願うのです。自分が神を信じると言いたいのか言いたくないのかに関わらず、それが「生きたい」と願う理由です。神が心に置かれたのです。永遠は今も、そしてこれからも私たちの心にあり続けます。私たちが知っている終わりが来ると、永遠が始まります。神の御前なのか、地獄の中なのかのどちらかです。 永遠はもう存在します。

ですから、生きたいという気持ちがあるのに、なぜ地獄を見るようなことをするのでしょうか? 仏教徒の友人に最後の質問です。仏教の実践に関連する20万ページの書物で、仏陀は何度、愛についてを他のどのトピック以外に言及したのですか。というか、もっと言えば、仏教の教えの中心は「愛」ですか? 

答え:違います。愛が焦点ではなく、また愛が他者への無条件の愛を示すような言葉で定義されていないと、機能しません。しかしながら、聖書は、愛が中心です。愛です。聖書が愛を定義します。

「第一ヨハネの手紙4章16節」に記されている通りです。これで締めくくります。神の御言葉をお読みします。

Iヨハネ 4

16私たちは自分たちに対する神の愛を知り、また信じています。(なぜか?/定義されています)神は愛です。愛のうちにとどまる人は神のうちにとどまり、神もその人のうちにとどまっておられます。

神は愛です。そして神は唯一です。仏教には、私たちが同意できるいくつかの原則がありますが、仏教の教えは、私たちが信じている事とは大きく異なります。私の知っている仏教徒の友人たちは、温厚な人たちばかりです。あらゆる点で優れた市民で、自分の仕事、技術、どんな仕事であれ、それを得意とする素晴らしい人たちです。彼らは丁寧に、誇りを持って仕事をし、私がただただ大好きな資質を持っています。しかし、彼らには1つだけ欠けているものがあります。それは、イエス・キリストを知ることです。言われているのは、仏陀は自分を救うために家族を捨てました。一方、イエスは世界を救うために御座を去りました。仏陀の生涯は、神話に根ざしています。しかしイエスの生涯は、事実に基づいています。

仏陀は行いを説きました。

一方イエスは、信仰による恵みを教えています。

仏陀は奇跡を起こしたことがありません。

一方イエスは多くの奇跡をなさいました。

仏陀は決して罪を赦すことはできず、彼が罪びとでした。

一方、イエスはすべての罪の赦し主で、罪のない人でした。

仏陀は神であると主張したことはありません。

一方、イエスは 神であることを主張しただけでなく、神です。

仏陀は死に、今日まで死んだままです。

一方イエスは死に、聖書通り、三日目によみがえられました。

 

このすべてを考えてほしいと思います。私たちクリスチャンは、主の導きの通り仏教徒の友人と話すとき、次のような質問をして下さい。主があなたの心に置かれる人に、神の愛を示してください。彼らがすべての苦しみを終わらせる真の道を知ることができるように。彼らは、今日、それを手にすることができるのです。それが、神に戻る道です。イエス・キリストという人物に。

カポノは上がって来て、賛美で私たちを祝福してください。皆さんご起立ください。祈りましょう。

 

愛する天のお父様。主よ、あなたは私の心をご存知です。私の友人には、仏教徒だと言う人がたくさんいます。私は彼らを愛しています。ですからあなたがこのことを話すよう私の心に置いて下さった事を、とても感謝します。主よ、私は祈ります。今夜ここで行われたことについて、あなたにすべての栄誉と栄光がありますように。このメッセージが、あなたの聖霊の御力によって浸透し、あなたの真理の御言葉を受け取れるよう、心にひびを抱えた全ての人に届きますように。彼らが、主であり救い主イエス・キリストによってもたらされる真の道、全ての苦しみの終わりを見ることができるかもしれません。救世主イエス・キリストの力強い御名によって祈ります。アーメン。

 

以上

 

 

聖書は何と語っているか。

 

偶像を崇拝してはいけない。と書いてあります。

仏陀であっても創造主なる神の被造物です。

その被造物を拝んで本当に救われると思いますか。

 

当時インドではヒンズー教という悪魔教が支配ていました。輪廻転生という悪魔の嘘を信じ込まされ、気持ち悪い像を拝んで救われると人々は信じていました。

カースト制度という上位の階級が報われ、下位の人々は苦しみと悲しみから逃れる事の出来ない社会でした。まさに今の現代社会ではないでしょうか。

仏陀の悟りは、悪魔教に逆らた神抜きの考え方。生、老、病、死というすべて苦。苦から逃れる考え方という思想が生まれたのだと思います。

 

日本は先進国の中で自殺率はトップだそうです。先が見えない社会、格差社会の中で頑張っても報われない。いじめ横行し、殺人、疫病、災害、戦争、戦争の噂。聖書の預言通りの社会になっています。

阿部元総理が暗殺され、世界平和連合、統一教会が話題になっています。カルトの定義がありませんからカルトが何なのかわかりません。宗教が問題を起こしても信仰の自由がありますから宗教団体や属する組織はやりたい放題です。

なぜこんな悲惨な社会なんだ。と感じるのが正常な感覚だと思います。

聖書では創造主なる神様は、苦しんでる人々を一人残らず救おうとしてます。

真の神に救いを求めるのにお金はかかりません。無料です。

宗教の偶像、教祖に救いを求めればお金を要求されます。

 

私たちは、創造主なる神様を神様と認めない罪を犯し、神様から離れてしまいました。この罪は、あなたの魂を滅ぼす罪です。この罪が赦されない限り、あなたは天国へ行くことができません。このことは、創造主なる神様を神様と認めないすべての人に当てはまることです。

 

「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることはできません。」(ローマ人への手紙3:23)

 

義人はいません。ひとりもいません。」(ローマ人への手紙 3:10)

罪から来る報酬は死です。」(ローマ人への手紙 6:23)

 

しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にあります。」(ヨハネの黙示録 21:8)

 

   これらは、神様との断絶状態を表しています。どんなよい行いをしても、神様との永遠の断絶から自分を救うことはできません。それでは、どうすれば救われるのでしょうか。

 

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われるのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」(エペソ人への手紙 2:8-9)

 

   何もしなければ、あなたは永遠に神様と断絶したままです。神様の御子であるイエス・キリストを否定する人は、天国に入れません。そして、その結果は、「火の池」における永遠の苦しみです。(ヨハネの黙示禄 20:15,テサロニケ人への手紙 第Ⅱ 1:7-9)  

 

御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。」(ヨハネ福音書 3:18) 

良いお知らせがあります。

しかし、神様と和解できる、とても簡単な方法があるのをご存知でしょうか。それは、神の御子(イエス・キリスト)によるのです。 あなたが救われて天国へ行くためには、あなたの罪が赦されなければなりません。人には、その罪を赦すことができません。 イエス・キリストは、あなたの身代わりになってあなたの罪を背負い、十字架上で死なれ、あなたの罪の代価を、ご自分の命で支払われました。そして、3日目によみがえり、ご自分が救い主であることを証明されたのです。

あなたの罪のためにイエス・キリストが十字架上で死なれ、葬られ、そしてよみがえられたことを信じることが、唯一の天国への道なのです。

 

エスは彼に言われた。「私が道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ福音書 14:6)

 

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネ福音書 3:16-17)

 

どうすれば、あなたは救われるのでしょうか。聖書は、こう断言します。

 

なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ローマ人への手紙10:9-10)

 

神様はあなたを愛しておられるので、この永遠の命である救いを、無償の贈り物としてあなたに与えてくださるのです。

 

罪から来る報酬は死です。しかし、神のくださる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」 (ローマ人への手紙 6:23)

 

主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。」 (ローマ人への手紙 10:13)

 

エス様を救い主としてお迎えする準備ができましたか。 イエス様を受け入れる告白を、神様にお知らせしましょう。今、ごいっしょにお祈りいたしましょう。

 

「イエス様、私は罪人です。あなたの救いを必要としています。自分の力や行いによっては、天国へ行くことができません。あなたが私の罪を赦すために十字架で死んでくださり、葬られ、よみがえられたことを、心から信じます。私の心の中心に入り、これからの私の人生を導いてください。イエス様のお名前によってお祈りいたします。アーメン」

 

 どうか一人でも多くの方々が神の救いと恵みと祝福が与えられますように。

 

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カルトの見分け方 友愛団体の罠 元フリーメーソンの証し

2022.06.23. 木曜礼拝 フリーメイソン Mac牧師

今夜の学びを始める前に、恵みの御座に祈りに行きましょう。

愛する天のお父様、今こそ、あなたの御言葉に耳を傾け、ここにある悪をいろんな点で暴く時です。このメッセージを聞くすべての人とあなたが共にいてくださることを祈ります。主よ、もし私が自己中心になっていたら、今、私と共にいてください。この話題について大胆に語ることができるように、ただただ聖霊を遣わしてください。主よ、あなたの御言葉は、あなたを愛する者にとっては、議論の余地はありません。私たちはあなたの御言葉、あなたの御言葉だけをすべてを受け入れます。真実であるからこそ、私たちは御言葉の上に立ちます。ですから今、あなたの真理をお語りください。しもべは聞いています。

偉大なイェシュア、イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

では、今夜の学びのテーマは、フリーメイソンです。このテーマは、私にとって非常に身近なものです。なぜなら、このカルトは、私がイエス・キリストと共に歩むために抜け出したカルトだったからです。これは私のことではなく、神に栄光があるという意味です。そして、主が熱心に求める者にいかに報いを与えてくださるかを示すために、この短い証を主に負っているのです。そう、2010年末のことでした。私は本当に主を探し求めていました。私はただ、真の生ける神を求め、見つけたいと思ったのです。自分の救い主が誰なのか知りたかったのです。イエスの事はもちろん知っていました。自分の救い主と、個人的な関係を持ちたかったのです。クリスチャンと名乗りながら、自分が従うべきキリストを知らないというのは嫌だったのです。私の言いたいことは、お分かりでしょう。誰でも人生のこの時点、未熟なあなたが主を求めているとき、それはクリスチャンとして最も弱い立場にあるのです。非常に、非常に脆弱です。というのも、聖書の神について語る人、あるいはイエスについて語る人なら、ほとんど何でも興味を持つからです。その一員になりたいと思うのです。なぜなら、それが神の御言葉に対する飢えだからです。そして、まさにこの時、私はある兄弟に声をかけられ、いくつかの質問をされたのです。初めの質問は、「やぁ、君は神を信じるか?」いきなりこれかよって感じです。私はこんな感じでした。「ええ、神を信じているよ!」彼は、「よし。」と。「もう一つ質問があります。」「何ですか?」「君は探し求めて...」

”探し求める”という言葉...耳がおっ!となり、何か大きなものを感じたのです。私は驚いて...「ええ、そうです。」そして鋭い言葉が次に来ました。3つ目の質問です。「聖書を持ってる?」「!!はい、聖書を持っています!」私は、「これは神だ」と考えます。私は探し求めていて、主を知りたくて、探しています。そして、この男が近づいてきて、神の話をしてる。私はとても興奮しました。そして、彼は私の住所を尋ね、数週間後に寄ると言いました。という感じで、あっという間でしたが、私にとっては力強いものでした。それで家に帰り、妻の聖書を手に入れ、連絡を待って聖書を読み始めたんです。ただ心の中で、これから入るこのグループは、私の決意を試したいと思っているのだと思いました。

「主よ、あなたがなさりたいことを何でもしてください。私は勝つためにこれにすべてを捧げます。」

それで、結局、3人で来たのです。私と妻をロッジ(集会所)に招待したいと言われました。良いでしょう。それでロッジに行って、そこで彼がこう言うんです。「ねえ、欽定訳聖書を買ってきてよ。」私は、「分かりました、問題ないです」と言いました。そして、すぐにメイソンになるための教化が始まりました。続きは、このフリーメイソンというテーマに取り組む中で明らかになります。表面的には、フリーメイソンは、特に真の生ける神を信じない人々にとっては、無害な組織に見えます。その立場からすると、無害なのでしょう。しかし、クリスチャンと名乗る人たちにとっては、これは最も危険なカルトです。それは絶対に避けなければなりません。非常に強い表現であることは分かっています。その必要があるのです。自分でもよく調べてみることです。今夜はすべてを網羅することはできないからです。もしあなたがすでに傷ついていたり、気持ちが傷ついたりした場合は、メイソンの指導者とあなたを欺いた悪魔にそれを訴えてみてください。クリスチャンだと公言している人達の中に、たくさんのメイソンがいます。長老や教会の牧師でさえも。たくさんいます。教会をメイソンの職務に使うこともあるそうです。私はメイソンが説教壇から教えているのを見たことがあります。知らない人のために説明すると、それは彼らの信仰に基づいて問題以上のものです。クリスチャンと公言する人たちは、熱心で洗脳されているため、このカルトの中にある悪に気づかないことがよくあります。彼らは多くの時間とお金を投資します。つまりお金と多くの力量を投資するので、これを手放すと、彼ら自身にとって築いた全ての人間関係も同様に大きな損失になると感じ始めるのです。しかし、私はあなたに申し上げたい、もしあなたがそれを手放さなければ、損失はより大きくなるでしょう。

では、主の導きのもと、フリーメイソンとは何か、彼らが従う教義は何か、どのように称号が組織化されているのか、彼らが行っている闇の儀式や慣習について説明します。高位なメンバーについて簡単に説明し、このカルトが最終的に誰を崇拝しているのかを見ていきます。それは、真の生ける神ではありません。これは、神の御言葉を用いて、クリスチャンがフリーメイソンと何の関係もないことを明確に示すために行うものです。まず、注意点として、これを暴露することは、まさに神の御言葉が私たちに教えていることだと知っておいてほしいのです。エペソ人への手紙の5章11節に書かれています。お読みします。

エペソ 5

11実を結ばない暗闇のわざに加わらず、むしろ、それを明るみに出しなさい。

すべての実を結ばない暗闇のわざは、明るみに出されるべきです。これは提案ではありません。命令です。そしてまた、この闇を明るみに出すために、神の御言葉を用います。彼ら自身の出典からも読み解きます。32階級メイソンで、アメリカ総大司教会の元総大司祭であったアルバート・G・マッキー博士が著した『フリーメイソン百科事典』などです。スコットランドのメイソン儀式の総司令官として、アメリカのトップのメイソンに選ばれたアルバート・パイクという人が書いた「道徳と教理」という本から引用します。このアルバート・パイクが、現在も続いている33階級のメイソン儀式を書き直したのです。

また、『Masonry Beyond the Light(光を超えるメイソン)』という本を書いた元32階級メイソンのウィリアム・チン・オベリンという人の知識を借りようと思っています。彼は悪魔崇拝者でもありました。ミズーリ州出身の悪魔崇拝者で、現在は熱心なクリスチャンです。神を称えます。これらのことは、ロン・カールソンやエド・デッカーといった作家や、32階級メイソンであった私の叔父からの情報と組み合わされています。そして、私の実体験は、それを証明するのに十分すぎるほどのものであるはずです。それに伴い、フリーメイソンとは一体何なのか? フリーメイソンとは何かということに関して、一つの共通の定義があるとすれば、それは次のようなものでしょう。

フリーメイソンとは、社会をより良くするために組織され、厳格に運営されている友愛団体である。」

引用終わり。そう言われているのです。続けます。

フリーメイソンは、男性の中で、より良い人格を築くために、自己啓発に重点を置いています。」

彼らは、兄弟愛、救済、真理の原則に献身していると主張しています。別の定義を引用します。

フリーメイソンは、寓話の中にそれを詰め込み、シンボルで描いた独特の道徳体系である。」

言わせてもらうと、メイソンにまつわるシンボルは、たくさんあります。本当にたくさんです。それらにはすべて意味があります。さて、フリーメイソンの起源については、いくつかの説がありますが、それらは今回の学びに何の価値もありません。しかし、その共通のルーツは、名前そのものに含まれているのです。「メイソン」少なくとも初期の石工(ストーンメイソン)まで遡ることができそうです。そして、そこから長い時間をかけて、現在のような形になったのでしょう。いずれにせよ、メイソンの教え方の基本は、メイソンのすべての著作に由来し、それに準じているのです。

さて、また、フリーメイソンの中には、その過程で生み出される、言ってみれば3つの基本タイプがあることも知っておくとよいでしょう。3つのタイプです。つまり、メイソンに入会して、最初の3つの階級を取得した人たちがいるわけですが、その3つ目の階級がマスターメイソンということになります。そして、その階級で、通常は止まるのです。マスターメイソンは、ロッジに受け入れられ、集会に出たり、会費を払ったりして、メイソンと呼ばれることを喜んでいるかもしれません。そのグループの内部では、メイソンが宗教であることを否定しています。彼らは、先ほどお話しした、自分たちの宗教を高めるために、彼らが教えられているその人格形成を用いると主張しているのです。これは、現在のメイソンのほとんどがそれに該当することを表しています。彼らは見えていないので、このような指南に腹を立てています。

「私はマスター・メイソン。これら全てを生かしている。彼らは、人としてより良くなることを教えてくれた。私はより良い人間になったのです。」

だから、フリーメイソンを批判する人がいると、怒るのです。「より良い人になる」良いでしょう。私はそれに挑戦したい。なぜなら、メイソンは、あなたをより良い人にすることは出来ないからです。神だけが、お出来になります。彼らは調査をしていないのです。全員、クリスチャンでもありません。しかし、そのような人たちは、自分の感情の代わりに、事実を見落とすようです。

フリーメイソンの第二グループは、メイソンを宗教とみなしながらも、メイソンと協調して独自の宗教を実践しています。

そして3つ目は、メイソンを宗教として捉えているタイプです。メイソンは彼らの教義です。それ以外は一切求めません。これは上層部からも同じように教えられています。メイソンの学者のほとんどか、この部類に入ります。全員がそれを信じているのです。そして、生み出されたこれらのグループが、異なる信念を持っていたとしても、フリーメイソンは、それ自体が信仰体系なのです。お話ししましょう。

ジュニアレベルでも、あらゆる状況にメイソンの思想を用いて取り組むようたくさんのことを教えられます。結局は、これからわかるように、宗教なのです。

では、メイソンの階級については、ここでは触れませんが、通常、階級と呼ばれるもので区切られています。そして、階級ごとに儀式があり、最初の3階級はその中でもより軽い儀式となっています。そして、階級ごとに儀式があり、最初の3階級はその中でもより軽い儀式となっています。しかし、言っておきますが、行われていることに比べれば、全然軽いものではありません。それを聖書と照らし合わせてみるのです。軽くはありません。血の誓いのことです。聞いていますか? 血の誓い。あくまで見せかけです。

もっと詳しくお話します。一例をあげます。これは、マスターメイソンや、3階級になる前に言うことの一例です。こう言って、フリーメイソンの秘密を守ることを血の誓いで誓うのです。これはほんの一部です。

「己を縛るということは、己の体を二つに切断されるということに勝るとも劣らない罰である。私の腸はそこから取り出され、灰に焼かれた。」

これは血の誓いです。これは軽い誓いです。神の御言葉は、私たちに警告し、いかなる種類の誓いもしてはならないと教えています。マタイの福音書5章34節から37節に書かれています。お読みします。イエスが語っておられます。

マタイ 5

34しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。天にかけて誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。

35地にかけて誓ってもいけません。そこは神の足台だからです。エルサレムにかけて誓ってもいけません。そこは偉大な王の都だからです。

36自分の頭にかけて誓ってもいけません。あなたは髪の毛一本さえ白くも黒くもできないのですから。

37あなたがたの言うことばは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』としなさい。…

よくお聞きください。

...それ以上のことは悪い者から出ているのです。

「はい」、「いいえ」以上のものはすべて悪魔のものです。他に何か言うべきことはありますか? イエスと議論したいのなら、あなたは負けるでしょう。神の御言葉は、ここにはっきりと現れています。全く曖昧さがありません。そしてまた、私がこの秩序の中で行った、とても悪魔的な儀式や行為がたくさんります。実際、聖書に「すべての罪びとは、聖霊を冒涜し、聖なる御言葉と、真の生ける神、聖なるお方を拒絶すること以外は赦される」と書かれていなければ、私たちはみな地獄に落ちることでしょう。それだけ深刻な問題なのです。少なくとも私にとっては。ご辛抱ください。この問題を話すために、主が私の心を整えてくださるのに10年以上かかりました。私は欺かれていたからです。これには、大きなレベルの欺きがあることを知っておいてください。言い訳ではなく、せめて少しでも理解を得られるように。

では、少し聞いてください。このような状況の中、私たちは非常に強い聖書的な影響を受けて入会しました。本当に強いのです。もちろん、これが最大の魅力でした。私は心から主を探し求めていて…どうなったと思います? 聖書に対する姿勢は正当なものだと思えました。儀式前は、全て聖書の話でした。毎日、毎晩、聖書を読んでいます。特に旧約聖書、今の教会ではほとんど語られていない部分です。私がどう感じたか考えてみてください。聖書の課題、宿題が出ます。時には、書まるごと読むこともあります。この書を読むのに1週間かけます。書き留めて、何を学んだのか、クイズが出されます。訓練セッション。私たちは長いメイソンの教義を暗唱していました。その多くは聖書から派生したものですが、やがて私たちは、大きく捻じ曲げられていることを発見することになります。私にとっては、その当時は、神の御言葉に慣れ親しんでおらず、本当に神の御顔を求め、自分よりも大きな何かを探していたのです。

ああ、フリーメイソンだったのか… さらに悪いことに、そのロッジに夕食に招待された時のことです。壁には、そのロッジに所属する多くの人々の写真が飾られていました。そして、この名声の壁に近づくと、私の指揮下の高官や役人が大勢いるのに気づきました。壁に飾られているのです。私は、「あぁ、あれは○○隊長だ」と。「これは○○だ。」「あの部隊の副司令官だ。」安心感があります。ああ、これは本物なんだ、という感じです。この人たちなら分かっているだろう、と。安全だと思ったのです。ロッジに連れて来て下さった神に、素直に感謝したくらいです。今でもそうですが、理由は違います。もし私が無知をさらけ出すことで、あなたが私に違和感を覚えるなら、主があなたを祝福し、あなたを守り、あなたの上に御顔を輝かせてくださいますよう、祈ります。決して自慢できることではありません。クリスチャンが自分の恥を誇りに思うでしょうか? しかし、私の恥が他人の恥を防ぐために使われ、その過程で神の栄光を示すことができるのであれば、それはそれでよいのです。

それでは、お話ししましょう。ここで、いくつかの問題点を指摘させてください。私は一旦立ち止まって、全部自分で調べればよかったのです。しかし、木を見て森を見ずだったのです。メイソンの最初の危険信号は、神の普遍的な父性を信じていることです。この「神はすべての宗教の神である」という考え方です。

これは、共存の考え方です。これはどういうことか、引用します。

イスラム教徒、ヒンズー教徒、モルモン教徒、仏教徒ユダヤ教徒キリスト教徒を引き合いに出して、すべての人間は神の霊的子であると教えている。」

だから、最初は聖書をすべての土台として活用しながらも、しばらくするとあらゆる宗教を紹介するのです。それをメイソンで調和させるのです。いいですか? 注目してください。ユダヤ人もフリーメイソンの仲間です。あれは赤信号に赤信号を重ねるべきでした。なぜでしょう? 考えてみてください。私たちは、欽定訳聖書から教えを受けるようにと言われています。しかし、正統派ユダヤ教徒新約聖書を信じていません。彼らはイエスをメシア(救い主)として否定しています。後悔先に立たず、です。何かが足りない、いや、誰かが足りないということを明確に物語っていたはずです。実際、32階級、アルバート・マッキー博士は、こう言っています。引用。

「神は、寺院にいる敬虔なヒンズー教徒、シナゴーグにいるユダヤ教徒、モスクにいるイスラム教徒、そして教会にいるキリスト教徒にも等しく存在するのである。」引用終了。

彼らは、すべての人が神の子であると信じています。さて、聖書と照らし合わせてみると、これはあらゆる点で誤りであることがはっきりと分かります。真の生ける神の子となる方法はただ一つです。ヨハネ福音書1章12節に書かれています。お読みします。

ヨハネ 1

12しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。

その名とは、イエスの御名です。全人類の贖い主であるイエスだけを信じると、誰でもベネ・エロヒム、神の子となることができる、というものです。私たちの神は、聖書という一つの御言葉をお持ちです。

エスを通しての永遠の命の贈り物、救いそのものを与えてくださる唯一の方法です。神は複数の宗教の神でもなければ、フリーメイソンの神でもありません。要するに、聖書はメイソンの誘い文句として使われているのです。クリスチャンと名乗る人たちは、このことを前もって知っておく必要があります。私のように騙されないように。最初はすべて聖書的ですが、すぐに変わるのです。受け流さないでください。事実、彼らが信じることは彼らの信じることであり、彼らの教団の一員であることは、あなたも彼らの教団の信者であることを意味するのです。彼らは自分たちなりの宗教を持っているのです。実際にマンリー・P・ホール、プリンス・ホール、メイソン。聞いたことありますよね? 33階級メイソンの言葉です。引用します。

「真のメイソンは信条に縛られない。彼は、ロッジの神聖な光によって、メイソンである自分の宗教が普遍的なものでなければならないことを悟る。」

繰り返しますが、これは上位階級からのものです。そして、下位階級の者はこれを押し付けられはしませんが、これから本格的になっていきます。私が見た2つ目の赤信号は、彼らが創造主を誰だと、どのように呼んでいるかということです。彼らは、創造主を宇宙の偉大な設計者と呼びます。これはメイソンのテーマに沿っているのですが、それだけではありません。これは一見悪くないように思えますが、しかし聖書のどこにも、神が宇宙の偉大な設計者であるとは書かれていません。神は万物の創造主であるのに、どうして私たちは神を偉大な設計者としか見ることができないのでしょう。こんにちは、あちこちに設計者がいますね。中には素晴らしい者もあります。しかし、私たちの創造主は一人しかいません。繰り返しますが、神は単なる宇宙の偉大な設計者ではないのです。そう話すと、とても素晴らしい響きになるんです。私たちはロッジの中にいて、今まで聞いたことのない話です。そして、とても男らしい声の人がいます。

「ようこそ。我々は宇宙の偉大な設計者に仕える者として...」「おぉ...宇宙の偉大な設計者...!」みたいな感じです。それは誰ですか? あるメイソンにとっては小さいことかもしれません。実際、ジョン・カルヴァンは、神を宇宙の偉大な設計者と呼んだことが何度かあると指摘されています。だからといって、彼が正しいとは限らないです。実際、もし彼がそうやって神を表現したのなら、それは間違いです。以上。

神は人間と同じ次元に置かれるものではありません。神の御名をもてあそんで、自分を何者だと思っているのか? 私たちは、無知な悪魔のような思考からではなく、神の聖なる御言葉の中で呼ばれていることを言及すべきであると知っておいてください。

ところで、これらのことはすべて、ニューエイジの方向に舵を切っています。ですから、フリーメイソンの世界では、真の生ける神以外のあらゆる神が、うまく適合しているのです。考えてください。聖書に書かれていない神の名を呼ぶことは、他の神々の名を本物として受け入れる扉を開くことになるのです。皆さんついて来ていますか? そうすると、普遍主義の手にかかることになります。それがフリーメイソンニューエイジにあるものです。同じものなのです。彼らは現在のこの世の神、悪魔に仕えているのです。名は重要です。そして、神の御前に、他の神々を持ってはなりません。さて、神と呼ばれるものに関して、これで十分でないなら、フリーメイソンでは、ロイヤルアーチ階級の権利の中で、階級が上がるにつれて、神の別の呼び名が使われます。その神の名はJah-Bul-On/ジャブロンです。これは、次のことばを組み合わせたものです。

聖書の名、Jehovah/エホバを指すJah/ジャという言葉、Bulは、アッシリアの神Baal/バアルを指す言葉、Onは、エジプトの太陽の神に関する言葉であり、エジプトにある太陽神の聖なる都市の名であり、聖典の中ではベトシェメシュとも呼ばれています。それがOn/オンです。実は、ヨセフの義理の父は、エジプトでオンの祭司をしていました。創世記41章45節に記されています。メイソンが神をどう見ているかということに関して、何が起こっているのかわかりますか? これが見えますか? 続けて、異教徒の神を混ぜたジャブオンと呼ぶようになるのです。クリスチャンとして、これは神への冒涜であることを明確に認識すべきです。言葉のあらゆる意味で。その一員であり続けたいと思いますか? イザヤ書48章11節に書かれています。お読みします。

イザヤ 48

11わたしのため、わたしのために、わたしはこれを行う。どうしてわたしの名が汚されてよかろうか。わたしの栄光を、ほかの者に与えはしない。

ジャブロン。それが高い階級にあると理解していますが、しかし、メイソンに携わっていた者がそれを知るために、高い階級に進んで待つ必要はないのです。これが事実なのです。メイソンのどの階級であろうと、立ち止まって、一歩踏みとどまって、このことについて考えるべきです。悪くなる一方です。聖霊が彼らの嘘を見抜かせてくださるよう祈ります。この名があなたを動かすのに十分でないのなら、特定のロッジのリーダーの名前を考えてください。その名は、Worshipful Master/崇拝すべきマスター

この名前に問題があると思う人はいますか? さて、その人を崇拝すべきマスターと呼んでいることが信じられませんでした。実は、これがメイソンへの私の初めての挑戦でした。私は、「おいおい、なんでこの人を崇拝すべきマスターと呼ぶんだい?」そして、クリスチャンと名乗る人と話していました。

彼は「いや、ただの称号だよ、意味なんてないさ。君は軍に所属しているんでしょ?」

私は、「うん...」「まあ、彼をマスターチーフとマスター軍曹と呼んでいるようなものだよ。」

実際、崇拝すべきマスターといつも呼ばなくて良いように、あだ名をつけてしまうのです。

「ワーシュ」と呼ぶのです。「やぁ、ワーシュ、どうしたんだい?」マジですよ。それくらい緩くなったんですよ。なんてことないでしょ? 違います。いいえ、それは問題です。軽視されていました。良いですか? 私はただそれに従いました。そうすべきではありませんでした。なぜなら、マスターチーフであることは、それだけのことです。軍曹のマスターであることは、また別の話です。マスターシェフであることも、また別の話。しかし、崇拝すべきマスターと呼ばれるのは、それとは違います。クリスチャンとして、私たちは真の生ける神にのみ礼拝を捧げなければならないのです。当然といえば当然なのですが、そうではなかったのです。神以外の何者も崇拝してはなりません。そして、クリスチャンを名乗るメイソンが、このような教えに関して悩むのには理由があります。なぜなら、彼らは結局、ロッジにいる時間の

ほとんどを、主に仕える代わりに、ロッジに仕えているという事実と格闘しなければならないからです。

そして中に入り込んでいる間は、とても無邪気なように見えます。しかし、そうではありません。それはすべて、真の生ける神の御心の中に人をとどまらせないための、目くらましです。マタイの福音書6章24節に書かれています。お読みします。

マタイ 6

24だれも二人の主人に仕えることはできません。...

ここで止めます。

...一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません。

ここにお金が絡んでいないと思ったら大間違いです。メイソンには、たくさんのお金が関与しています。数え切れないほどの募金活動で、皆の時間が奪われそうになりました。それはすべて、メイソンロッジの奉仕のためです。週末は募金活動に専念。これからお話しするように、私たちがこれに投じるお金は言うまでもありません。これは別の主人に仕えることです。これらのすべての活動において、クリスチャンはイエスから完全に離れてしまいます。実際、クリスチャンを名乗るメイソンの多くは、教会に行かなくなりました。彼らは、ロッジに行って学ぶことを好みます。もしフリーメイソンがこれらの役職を単なる肩書き、単なる階級、あるいは何らかの偉大な友愛の中でのものだと信じているならば、それは全く違います。判断はあなたに任せます。というのも、最初の3階級の入会プロセスでは、他にもいくつかのすることや言うことがあり、ある人は、すぐにメイソンの階級を取得します。

さて、1階級では「従弟」と呼ばれます。握手や合言葉、構え方、その他の手のシンボル、予備的なもの、様々な聖書の箇所なども学びます。聖書の箇所を暗記するということです。その多くは、先ほども言ったように、旧約聖書の中にあります。そして、秘密の知識を得ると言われています。メイソンになったとき、私たちは秘密として守ることを課せられます。神については常に語られます。だから、最初のうちはとんでもないことが出てくることありません。入会式が始まるまでは。すべての入会者がこの外側の部屋に

連れてこられ、そして崇拝すべきマスターに会う準備が整います。もしご希望であれば、ナショナルジオグラフィックで、このすべてが完全に再現されているのを見ることができます。フリーメイソンに関する軽快なドキュメンタリーをやっていました。そのような儀式の一部を捉えたのです。しかし、表に出てこないのは、私たちがこれに投入するお金です。恥ずかしいことです。これらはすべて、ある種のクラブ会費のようなものとして、自ら支払っているものなのです。資金調達は別です。お金を払って入会手続きをするのです。それ自体が異様なのです。なぜなら、その過程では目隠しをされているからです。そして、私たち全員を繋ぎ合わせます。ケーブルトウと呼ばれるものですが、みんなの首にかける縄なのです。

黒人としては、首に何かかけられたと思ったら、すぐに逃げ出すべきでしたが、しかし、違います。そのためにお金を払ったのです。そして、この崇拝すべきマスターと幹部が待機しているこの外扉に引き出されます。基本的に次のように言うように指示されます。

「私は闇の中で迷っています。そして、フリーメイソンの光を求めているのです。」

さて、目の前に聖書があり、その光は聖書から来るように思わせているのです。でも、それは全く真実ではありません。ここに書かれていることは、まさに彼らの意図するところです。あなたはフリーメイソンの光を求めていて、それは彼らがあなたに与えようとしているものです。全く光ではありません。光を反射する輝くものでありながら、闇でいっぱいです。第一ヨハネの手紙1章5節から7節に書かれています。お読みします。

ヨハネ 1

5私たちはキリストから聞き、あなたがたに伝える使信は、神は光であり、神には闇が全くないということです。

6もし私たちが、神と交わりがあると言いながら、闇の中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであり、真理を行っていません。

7もし私たちが、神の光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。

真の生ける神が与えてくださる光以外に、光はないのです。神は光です。神は光の中におられます。神が光であられるからです。そして、このすべてに、イエス・キリストがいないことにお気づきでしょうか?

世の光であるイエスは一切出てきません。意図的なものです。これがユダヤ人がフリーメイソンに不快感を抱かない理由です。聖書からイエスの名が削除されているからです。渡された本の中に、私たちが

「小さな黒い本」と呼ぶものがあり、そこには聖書の御言葉がずらりと並んでいます。普通ならイエスの名がある箇所なのに、イエスの名が取り除かれているのです。取り出されています。削除され、聖句を捻じ曲げているのです。それが学ぶべき教義となります。そして、その霊的な意味は、クリスチャンにとってとてつもなく大きなものです。2階級、3階級も、良くありません。2階級は「職人」と呼ばれます。そして3階級は、「親方/マスターメイソン」になります。この中にはたくさんのものが含まれています。

何度か学んでもいいのですが、ご自身で調べる必要があります。この次の2階級の間に、さらに多くの資金が集められ、捧げられます。多くのです。暗唱して覚えなければならない、渡された原稿も増えました。しかも大量に。何ヶ月もかけて、あらゆる種類の秘密のフレーズやパスコードのサイン、握手などを学びますが、それらはすべて神を冒涜するものです。しかし、マスターメイソンの入会式で、私にとってすべてが変わりました。「引き上げられる(昇級)」と呼びます。儀式なのです。私にとっては、イエス・キリストの復活を嘲るようなものです。クリスチャンとして、今まで経験したことのない最悪の出来事です。全ては話せません、時間がないので。こんな感じです。物語はソロモンの神殿を中心に展開されます。聖書には、神殿を建てるためにやってきた建築家たちのことが書かれています。ある男の名は、タイアのハイラムだったと思います。この人を中心に物語を捏造するのです。ハイラム・アビフと呼ばれています。彼は、神殿の設計図や計画書を持っている人でした。よく知られ、よく尊敬されています。そして、彼らに嫉妬する3人の人物がいました。そして、私たちは目隠しをされたまま、何をされるのか。この板の上を歩くと、地面からの高さが高くなっていることに気づくでしょう。誰かがやってきて、あなたを掴み、設計図をくれと言うのです。彼らが言う言葉は決まっていて、計画の秘密を守るために何も言ってはいけないことになっています。そして、そのまま移動して、次の人が出てきます。殴られたりするかもしれないし、図面を渡されて、ちょっと乱暴にされても、何も言いません。最後のステップを踏んで、そこに上がり、 「設計図を渡せ。」と言われても、何も言いません。今度はこの男があなたを神殿から投げ落とします。建設中の部分です。そしてあなたは倒れ、捕まえられますが、倒れたままにされます。ここからが本題です。そして、このようなスピーチやその他もろもろをこなしていきます。あなたは今、死後硬直状態で、あなたを殺した人たちに覆われていた手が、土からむき出しになっているのです。そして、彼らが寄ってきて、あなたの手をつかむのですが、その時、彼らは十分に強く手をつかみません。ですから、あなたは寝たままです。これを三度行い、三度目に彼らはあなたを死からよみがえらせます。そこで、あなたはマスターメイソンになります。その時でした。あの後、私は家に帰ったのです。私は吐きました。非常に気分が悪いのです。妻に何が起きたか説明しました。数週間、私は色々なものを見ました。それは恐ろしいものでした。その後、3回ほどロッジに通いましたが、最後はすべてを投げ捨て、御言葉に基づいて彼らに挑みました。誰も来ませんでした。彼らは、シアトル・ロッジのグランド・マスターを連れてきて、話を聞くと言いました。彼は来ませんでした。その時点で、二度と欺かれることのないようにと、主に祈りました。またその時、主はすべてのガラクタを通して、もっと大きなことのために私の心を整えておられることを明らかにされたのです。すでに聖書の学びモードに入ってましたが、もっと読むことに拍車がかかったのです。私は、毎日神の御顔にとどまりました。もう二度と騙されないために。私の悪魔に対する憎しみは、…あぁ、激しいものです。人生でこんなに葛藤したことはありませんでしたが、すべてに関して主がしてくださったことであり、主をほめたたえます。

後日、ある男性から連絡がありました。Linkedln(SNS)から。彼はこう言います。

「そういえば、君はメイソンはイエスについて語らないと言っていたね。テンプル騎士団を見てほしい。」

テンプル騎士団はイエスについて語っていますが、別のイエスです。ジャブロンのもとで、イエスの名を唱えます。ですから、「ありがたいけど、結構です!」実際、テンプル騎士団では、集会をするとき、自分たちのことを「I am that I am/わたしはある」と呼びます。(出エジプト3:14参照)

本物の "わたし"が、あなたに対応されます。私は嬉しいです。フリーメイソン達は、イエス・キリストが救いに至る唯一の道であることを教えられていません。別のイエスを教えています。実際、書物にあるように、希望と行いと慈善によって、自分たちの救いを実現することができると言われています。イエス・キリストの福音は、フリーメイソンの組織の中にはどこにも見当たりません。また、マッキーが様々な会合やイベントで大役を務める人たちに読ませる28の祈りのうち、イエスの御名で終わる祈りは一つもないことも非常に興味深いです。実際、イエスはせいぜい小さい神だ思われています。これは氷山の一角に過ぎません。結局、彼らはこの世の神に仕えているのです。グノーシス主義を含むあらゆる宗教的宗派の中で、人間のあらゆる感覚に訴えかけることによって、フリーメイソンという説得力のある宗教を、最も巧妙な方法で構築した悪魔に仕えているのです。控えめに言っても、非常に巧妙です。こうして、ジェシー・ジャクソンのような人が33階級メイソンになることもあり得るのです。ジェシー・ジャクソン牧師。政府の上層部には、自分はクリスチャンだと言っている人が、メイソンであることも多いことを知っておいてください。私はジェシー・ジャクソンだけを取り上げるわけではありません。あなたが知っているだけで過去にいくらでもあります。初期の人はもちろん、

ジョージ・ワシントン、ジョン・ハンコックとか、皆さん聞いたことありますよね。

フレデリックルーズベルトも、ジョン・ウェインもそうでした。

カウント・ベイシーマーク・トウェインも。

挙げればきりがありません。考えてみてください。彼らの集会はすべて夜、闇にまぎれて行われ、秘密の知識を持っていると主張する。それは、その秩序の中でしか得られないものです。クリスチャンは気を付けてください。警告されています。神のことを真剣に考え、この組織や、何らかの知識、光、あれやこれやと主張する組織をよく調べてみることをお勧めします。ヨハネ福音書18章19節から20節に書かれています。お読みします。

ヨハネ 18

19大祭司はイエスに、弟子たちのことや教えについて尋問した。

20イエスは彼に答えられた。「わたしは世に対して公然と話しました。いつでも、ユダヤ人がみな集まる会堂や宮で教えました。何も隠れて話してはいません。

密かに言われることは悪魔のものです。神はすべてをオープンに語っておられます。このメイソン・ロッジ、フリーメイソン、またはなんと呼んでもいいのですが、その一員の方々に勧めます。ロッジに仕えるのをやめてください。主に仕えてください。ロッジは、あなたが救われる道でも、より良い人間になるための道でもありません。もしあなたがクリスチャンなら、この言葉を聞いてくれるように祈ります。お立ちください、祈りましょう。

愛する天のお父さま、主よ、嘘に対抗してあなたの真理を聞くことができたことに感謝します。あなたの御言葉は、何があっても必ず勝ります。そこから私を救い出し、御言葉の真理を示し、その狂気を通して私を整え、今の私があることを本当に感謝しています。あなたがしてくださったことは、悪いことを益にしてくださったことです。あなたがけがお出来になることです。永遠に感謝します。

主よ、他の多くの人々が光のもとに来るようにと祈ります。あなたの御言葉の真理の光に。

主よ、私たちはあなたを愛し、あなたに感謝し、あなたにすべての誉れと賛美を捧げます。あなたに、永遠に栄光がありますように。偉大なるイエシュア、イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

マスコミはウクライナ軍の犯罪をロシア軍プーチン氏になすりつけている。自らの犯罪をメディアを使って騙すのはアメリカの常駐手段。

真珠湾攻撃 アメリカ国内では、今でも「リメンバー、パールハーバー」と発言する人が多いようで、
その根拠は「1941年の日本軍による真珠湾攻撃は、宣戦布告なしのだまし討ちで多くの犠牲(2,402名)を払った。アメリカはその仕返しという大義のために太平洋戦争へ突入し、勝利をおさめたのだ」というものです。

しかし、このパオロ・ベルニーニ議員の言うように、
日本軍のハワイ行きは、事前に暗号の解読で知っていたことが公文書で明らかとなっています。
米軍の現地の指揮官は、暗号を解読していた米国政府からわざと知らされておらず、
真珠湾にいた米軍人たちは多数の犠牲を払いました。

一番大事な空母2隻(エンタープライズレキシントン)は、
ウェーキ島とミッドウェーへ航空機の輸送のため、
真珠湾から離れていました。

●ルシタニア号事件(第一次世界大戦中の1915年、アイルランド南岸沖を航行していたイギリス船籍客船ルシタニア号がドイツのUボートの放った魚雷によって沈没、アメリカ人128人を含む1,198人が犠牲となった)
ドイツの野蛮な攻撃に対してアメリカの世論は沸騰。これによって、それまで中立であった米国議会でも反ドイツの雰囲気が強まり、アメリカも参戦するきっかけとなった。
積み荷の保険金請求裁判の目録には船倉に173トンの弾薬があることが記入されており、当時の国際法に照らし合わせるとルシタニア号は攻撃を受けても致しかたなかった。しかしウィルソン大統領は弾薬の積載を認めず、目録を「大統領以外は開封禁止」という命令書を添えて財務省の倉庫に保管させていた。
また、最近の海底調査で沈没したルシタニア号が発見され、その船内には違法の武器と火薬が積載されていたことが判明。やはりルシタニア号は当時の国際法に違反していたことが証明された。


●メーン号事件(1898年、アメリカとスペインの戦争・米西戦争のきっかけを作った)
当時スペイン領だったキューバに停泊中のアメリカの戦艦メーン号が何者かによって爆破沈没され、「メーン号を忘れるな」と新聞を通じて国民感情をあおり、スペインとの戦争を正当化して開戦した。
メーン号が沈没した理由が、故障による自損事故だったことが後に明らかにされたが、これは自作自演との説もあり、フルフォード氏もビデオでそう述べておられる(70年後に、自作自演だったと公表したとのこと)

 

トンキン湾事件(1964年、北ベトナムトンキン湾北ベトナム軍の哨戒艇アメリカ軍駆逐艦に2発の魚雷を発射したとされる事件で、これをきっかけにアメリカは本格的なベトナム戦争に突入したが、後にこれがアメリカによる自作自演だったことが判明)

 

湾岸戦争
1990年に嘘のナイラ証言

 「歴史は勝者によって書き替えられる」

イタリアの国会議員の弁論に沿って検証していきます。
(2013年9月11日のイタリア国会)

 

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馬渕睦夫が語る虐殺とウクライナ問題の真実

日本のメディアが報じない不都合な真実

ウクライナ人が隠そうとしている「レイプ、拷問、強制出産、民族浄化、大虐殺」馬渕睦夫×篠原常一郎

   

混沌とした各国の思惑や情報戦のさなか、世界を横軸に視ることで国際情勢を多面的に捉えることができます。現在ネットで話題になっている、他では聞けないニュースをお届けします。

ボスニア内戦:ボスニアヘルツェゴヴィナセルビア国境に近い山あいの町スレブレニツァに武装したセルビア人勢力が突入、ムスリム人・イスラム教徒(ボシュニャク人)が大量虐殺される事件が起きた。第二次世界大戦以降の欧州で最悪の虐殺と称された、スレブレニツァの虐殺は、スレブレニツァ周辺で4日間にわたり、セルビア人勢力は住民の中から男性だけを引き離し、山中で次々と銃殺、遺体を発見されないよう、分散して深く地中に埋めた。今現在、スレブレニツァの虐殺を彷彿とさせる出来事が、ウクライナ東部紛争で起きている。

未来ネット / 旧林原チャンネル「ひとりがたり馬渕睦夫」#40 ゲスト:篠原常一郎 vol.5 ロシアとウクライナの真実・それを知れば世界がわかる・日本のメディアが伝えない理由より文字起こし。

産経新聞、月刊Will、正論も隠秘するウクライナの大虐殺

【隠秘する】デジタル大辞泉:隠して人に見せないこと。 秘密にしておくこと。

ウクライナでロシア人を虐殺してるっていうのがウクライナ危機の真実なんですね。

私は正論に頼まれてそういう趣旨を書いたらね、最初ボツになった。でも何回かやりとりしているうちに、載るようになりましたけど。正論のウクライナ特集で言ったの私だけですよ。他はアメリカのメディアが言っている通りになっているわけです。

ウクライナの方は気づかないと駄目なんです。利用されただけなんです(笑)

ロシア系住民の集団虐殺で、遺体が掘り出されたのが随分あって、OSCEね、欧州安全保障機構がちゃんと立ち会ってやって、彼らが認定してこれは虐殺だと言っているのに、日本の記者は誰も報道しないんですよね。あれは僕は驚きましたね。

ロシア語勉強して、ロシア特派員やったり、ウクライナ特派員やっててね、英字新聞見てしか記事を書かないの?って話ですよ(笑)本当ビックリですよ。それぐらい虐殺事件が起きてるんですよね。

必ず、局面、局面で大きなことが起こるときに、ユダヤの勢力が明確に支援してるんですね。お金を出すなど。

ユダヤ人のネオナチ組織みたいなのがありましてね、それがウクライナ義勇兵として参加してる。日本では誰も報道しないんですよ。ウクライナの報道では出てくるわけですよ。きちっと実名も出してね。

今回のウクライナ危機の10年前にオレンジ革命というのがあったんですね。ところがオレンジ革命を誰がやったかとうと、アメリカのネオコンがやったんですね。背後にいたのがあの、ジョージソロスなんです。後、亡くなりましたけど、アメリカ共和党のマケインなんです。組んでやってたんです。そういことは公になってるんです現地では。ところが日本では言わないんです。報道がされないんです。

僕も驚いたんですけどね、現在のウクライナ政権に連なる幹部達は、みんなマケインだのジョージソロスだの、直接会ったり、連絡して話し合ってるシーンまでも残っているわけですよ。記念写真まで撮っているわけで、それについて基づいて言っても誰もね、地上波でも普通の新聞でも取り上げてくれない。

ヌーランドというアメリ国務省の、ウクライナ、ロシア担当の女性ですよ、ネオコンの女性ですよちなみに。当時のアメリカの大使がパイアットという男なんですが、これがヌーランドと電話してね、デモの最中に電話してるわけです。次の政権はヤツェニュクにしようと人事まで話してる。で、その通りになってる。

ウクライナ人の言うことを、言いなりに聞いている人というのは、ウクライナというのはウクライナ人の国で、一枚岩で単一民族しかいないかのように認識している。

ロシア語しかできないウクライナ人もいるわけですよ。

ロシア系の住民で極端な話、両方のパスポート持って日本に住んでる人もいるわけですよ。ロシアのパスポート、時には使い分けてるわけですよ。

東部ウクライナに住んでいる人が僕に言うのは、ウクライナ政府軍が自分の古里に向かって砲弾を撃ち込んだとき、私はもうウクライナという国から、心が離れたんだと言いますよ。

具体的な話ね、ウクライナという国が、はらんでいるモザイク国家状況ってのをね、丸っきり無視してね、話広げられてるということに対して、日本国民はもうちょっと、本当のことに目を向けて、耳を傾けてやらないと、見誤るなと思いますね。

そもそも2014年2月に事実上クーデターで、ヤヌコビッチ政権を倒して、暫定政権ができて、そのあとポロシェンコ政権になったわけですけどね。

ウクライナ危機をソロス主導でやったんだけど、こんな停戦合意ができたらね、ウクライナ民主化は失敗したんだと。アメリカもEUもウクライナに軍事支援するべきだと、ロシアと戦えるように、そういうことを言うわけですよ。改めてジョージソロスが何を考えていたかと分かるわけですね。

利用されちゃって国土をメチャクチャにされたんです。彼らはウクライナが大切だからやったわけじゃないんです。彼らのターゲットはプーチンなんですよ。プーチンをね何とかウクライナ紛争に引き込んで、プーチンに反撃しようと。

逆にプーチンの対応を見ると、常にウクライナの問題から距離を置こう、距離を置こうとそういう対応ですよね。

それを逆に日本はプーチンが侵略した、この頃はプーチンウクライナを侵略したことになってる。

オデッサの虐殺があったんですけど、にも関らず軍事介入はしなかった。そりゃ自制してるんですね。

コロモイスキーって男がいてね、ドニプロペトロフスク州知事をやってましたが、解任されたんですが、イスラエルキプロスウクライナの3重国籍で、ウクライナ第三の富豪。何をやってたかというと、アゾフって私兵集団をもっていたんです。それがロシア人を虐殺してたわけですね。

アゾフ大隊ってのは僕も映像で覚えてますけど、旗はハーケンクロイツですよ。ナチスの旗を。でヘルメットにもハーケンクロイツがついて、まぁ鍵十字ですよ。

先ほどおっしゃったように、日本のどのメディアも言えない。産経新聞も言えないんですよ。


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2014,6,13ノルマンディー上陸作戦記念式典

原爆投下映像でプーチン氏ただ一人は十字を切り祈る。

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NHKアゾフ大隊情報とゼレンスキー大統領インタビュー

ネクタイをはめた誠実そうなNHKアナウンサーが話すと真実の情報であると信じてしまうのが普通だと思います。CNNやBBCなどの偏向メディアをそのままNHKをはじめ日本のメディアが垂れ流し妄信している。NHKのアゾフ大隊の情報とゼレンスキー大統領インタビューと見比べてみましょう。

まずNHKアゾフ大隊の情報

ウクライナの"精鋭部隊"「アゾフ大隊」。

義勇兵が集まり2014年にウクライナ政府の国家親衛隊に正式に所属しました。

このアゾフ大隊をロシア政府は"ネオナチ"の極右部隊と主張、軍事侵攻の主張を正当化する狙いがあるとみられています。

アゾフ大隊はネオナチか、それとも精鋭部隊なのか。

元駐ウクライナ大使はロシアのプロパガンダだ。

FOXニュース ゼレンスキー大統領のインタビュー

アゾフ大隊についてレポートがあります。彼らは民兵として活動し、ナチス関連組織と言われてます。彼らは残虐なことを行っていると言われています。その部隊レポートについてアメリカ人は何をしるべきでしょうか。

ゼレンスキー大統領

アゾフはそのような大隊の一つで、彼らはそういう人達です。

youtubeではワクチンと同じですぐ削除されます。

rockway.blog.shinobi.jp

「ロシアの論理」で読み解くウクライナ危機

 

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