カルトの見分け方 友愛団体の罠 元フリーメーソンの証し

2022.06.23. 木曜礼拝 フリーメイソン Mac牧師

今夜の学びを始める前に、恵みの御座に祈りに行きましょう。

愛する天のお父様、今こそ、あなたの御言葉に耳を傾け、ここにある悪をいろんな点で暴く時です。このメッセージを聞くすべての人とあなたが共にいてくださることを祈ります。主よ、もし私が自己中心になっていたら、今、私と共にいてください。この話題について大胆に語ることができるように、ただただ聖霊を遣わしてください。主よ、あなたの御言葉は、あなたを愛する者にとっては、議論の余地はありません。私たちはあなたの御言葉、あなたの御言葉だけをすべてを受け入れます。真実であるからこそ、私たちは御言葉の上に立ちます。ですから今、あなたの真理をお語りください。しもべは聞いています。

偉大なイェシュア、イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

では、今夜の学びのテーマは、フリーメイソンです。このテーマは、私にとって非常に身近なものです。なぜなら、このカルトは、私がイエス・キリストと共に歩むために抜け出したカルトだったからです。これは私のことではなく、神に栄光があるという意味です。そして、主が熱心に求める者にいかに報いを与えてくださるかを示すために、この短い証を主に負っているのです。そう、2010年末のことでした。私は本当に主を探し求めていました。私はただ、真の生ける神を求め、見つけたいと思ったのです。自分の救い主が誰なのか知りたかったのです。イエスの事はもちろん知っていました。自分の救い主と、個人的な関係を持ちたかったのです。クリスチャンと名乗りながら、自分が従うべきキリストを知らないというのは嫌だったのです。私の言いたいことは、お分かりでしょう。誰でも人生のこの時点、未熟なあなたが主を求めているとき、それはクリスチャンとして最も弱い立場にあるのです。非常に、非常に脆弱です。というのも、聖書の神について語る人、あるいはイエスについて語る人なら、ほとんど何でも興味を持つからです。その一員になりたいと思うのです。なぜなら、それが神の御言葉に対する飢えだからです。そして、まさにこの時、私はある兄弟に声をかけられ、いくつかの質問をされたのです。初めの質問は、「やぁ、君は神を信じるか?」いきなりこれかよって感じです。私はこんな感じでした。「ええ、神を信じているよ!」彼は、「よし。」と。「もう一つ質問があります。」「何ですか?」「君は探し求めて...」

”探し求める”という言葉...耳がおっ!となり、何か大きなものを感じたのです。私は驚いて...「ええ、そうです。」そして鋭い言葉が次に来ました。3つ目の質問です。「聖書を持ってる?」「!!はい、聖書を持っています!」私は、「これは神だ」と考えます。私は探し求めていて、主を知りたくて、探しています。そして、この男が近づいてきて、神の話をしてる。私はとても興奮しました。そして、彼は私の住所を尋ね、数週間後に寄ると言いました。という感じで、あっという間でしたが、私にとっては力強いものでした。それで家に帰り、妻の聖書を手に入れ、連絡を待って聖書を読み始めたんです。ただ心の中で、これから入るこのグループは、私の決意を試したいと思っているのだと思いました。

「主よ、あなたがなさりたいことを何でもしてください。私は勝つためにこれにすべてを捧げます。」

それで、結局、3人で来たのです。私と妻をロッジ(集会所)に招待したいと言われました。良いでしょう。それでロッジに行って、そこで彼がこう言うんです。「ねえ、欽定訳聖書を買ってきてよ。」私は、「分かりました、問題ないです」と言いました。そして、すぐにメイソンになるための教化が始まりました。続きは、このフリーメイソンというテーマに取り組む中で明らかになります。表面的には、フリーメイソンは、特に真の生ける神を信じない人々にとっては、無害な組織に見えます。その立場からすると、無害なのでしょう。しかし、クリスチャンと名乗る人たちにとっては、これは最も危険なカルトです。それは絶対に避けなければなりません。非常に強い表現であることは分かっています。その必要があるのです。自分でもよく調べてみることです。今夜はすべてを網羅することはできないからです。もしあなたがすでに傷ついていたり、気持ちが傷ついたりした場合は、メイソンの指導者とあなたを欺いた悪魔にそれを訴えてみてください。クリスチャンだと公言している人達の中に、たくさんのメイソンがいます。長老や教会の牧師でさえも。たくさんいます。教会をメイソンの職務に使うこともあるそうです。私はメイソンが説教壇から教えているのを見たことがあります。知らない人のために説明すると、それは彼らの信仰に基づいて問題以上のものです。クリスチャンと公言する人たちは、熱心で洗脳されているため、このカルトの中にある悪に気づかないことがよくあります。彼らは多くの時間とお金を投資します。つまりお金と多くの力量を投資するので、これを手放すと、彼ら自身にとって築いた全ての人間関係も同様に大きな損失になると感じ始めるのです。しかし、私はあなたに申し上げたい、もしあなたがそれを手放さなければ、損失はより大きくなるでしょう。

では、主の導きのもと、フリーメイソンとは何か、彼らが従う教義は何か、どのように称号が組織化されているのか、彼らが行っている闇の儀式や慣習について説明します。高位なメンバーについて簡単に説明し、このカルトが最終的に誰を崇拝しているのかを見ていきます。それは、真の生ける神ではありません。これは、神の御言葉を用いて、クリスチャンがフリーメイソンと何の関係もないことを明確に示すために行うものです。まず、注意点として、これを暴露することは、まさに神の御言葉が私たちに教えていることだと知っておいてほしいのです。エペソ人への手紙の5章11節に書かれています。お読みします。

エペソ 5

11実を結ばない暗闇のわざに加わらず、むしろ、それを明るみに出しなさい。

すべての実を結ばない暗闇のわざは、明るみに出されるべきです。これは提案ではありません。命令です。そしてまた、この闇を明るみに出すために、神の御言葉を用います。彼ら自身の出典からも読み解きます。32階級メイソンで、アメリカ総大司教会の元総大司祭であったアルバート・G・マッキー博士が著した『フリーメイソン百科事典』などです。スコットランドのメイソン儀式の総司令官として、アメリカのトップのメイソンに選ばれたアルバート・パイクという人が書いた「道徳と教理」という本から引用します。このアルバート・パイクが、現在も続いている33階級のメイソン儀式を書き直したのです。

また、『Masonry Beyond the Light(光を超えるメイソン)』という本を書いた元32階級メイソンのウィリアム・チン・オベリンという人の知識を借りようと思っています。彼は悪魔崇拝者でもありました。ミズーリ州出身の悪魔崇拝者で、現在は熱心なクリスチャンです。神を称えます。これらのことは、ロン・カールソンやエド・デッカーといった作家や、32階級メイソンであった私の叔父からの情報と組み合わされています。そして、私の実体験は、それを証明するのに十分すぎるほどのものであるはずです。それに伴い、フリーメイソンとは一体何なのか? フリーメイソンとは何かということに関して、一つの共通の定義があるとすれば、それは次のようなものでしょう。

フリーメイソンとは、社会をより良くするために組織され、厳格に運営されている友愛団体である。」

引用終わり。そう言われているのです。続けます。

フリーメイソンは、男性の中で、より良い人格を築くために、自己啓発に重点を置いています。」

彼らは、兄弟愛、救済、真理の原則に献身していると主張しています。別の定義を引用します。

フリーメイソンは、寓話の中にそれを詰め込み、シンボルで描いた独特の道徳体系である。」

言わせてもらうと、メイソンにまつわるシンボルは、たくさんあります。本当にたくさんです。それらにはすべて意味があります。さて、フリーメイソンの起源については、いくつかの説がありますが、それらは今回の学びに何の価値もありません。しかし、その共通のルーツは、名前そのものに含まれているのです。「メイソン」少なくとも初期の石工(ストーンメイソン)まで遡ることができそうです。そして、そこから長い時間をかけて、現在のような形になったのでしょう。いずれにせよ、メイソンの教え方の基本は、メイソンのすべての著作に由来し、それに準じているのです。

さて、また、フリーメイソンの中には、その過程で生み出される、言ってみれば3つの基本タイプがあることも知っておくとよいでしょう。3つのタイプです。つまり、メイソンに入会して、最初の3つの階級を取得した人たちがいるわけですが、その3つ目の階級がマスターメイソンということになります。そして、その階級で、通常は止まるのです。マスターメイソンは、ロッジに受け入れられ、集会に出たり、会費を払ったりして、メイソンと呼ばれることを喜んでいるかもしれません。そのグループの内部では、メイソンが宗教であることを否定しています。彼らは、先ほどお話しした、自分たちの宗教を高めるために、彼らが教えられているその人格形成を用いると主張しているのです。これは、現在のメイソンのほとんどがそれに該当することを表しています。彼らは見えていないので、このような指南に腹を立てています。

「私はマスター・メイソン。これら全てを生かしている。彼らは、人としてより良くなることを教えてくれた。私はより良い人間になったのです。」

だから、フリーメイソンを批判する人がいると、怒るのです。「より良い人になる」良いでしょう。私はそれに挑戦したい。なぜなら、メイソンは、あなたをより良い人にすることは出来ないからです。神だけが、お出来になります。彼らは調査をしていないのです。全員、クリスチャンでもありません。しかし、そのような人たちは、自分の感情の代わりに、事実を見落とすようです。

フリーメイソンの第二グループは、メイソンを宗教とみなしながらも、メイソンと協調して独自の宗教を実践しています。

そして3つ目は、メイソンを宗教として捉えているタイプです。メイソンは彼らの教義です。それ以外は一切求めません。これは上層部からも同じように教えられています。メイソンの学者のほとんどか、この部類に入ります。全員がそれを信じているのです。そして、生み出されたこれらのグループが、異なる信念を持っていたとしても、フリーメイソンは、それ自体が信仰体系なのです。お話ししましょう。

ジュニアレベルでも、あらゆる状況にメイソンの思想を用いて取り組むようたくさんのことを教えられます。結局は、これからわかるように、宗教なのです。

では、メイソンの階級については、ここでは触れませんが、通常、階級と呼ばれるもので区切られています。そして、階級ごとに儀式があり、最初の3階級はその中でもより軽い儀式となっています。そして、階級ごとに儀式があり、最初の3階級はその中でもより軽い儀式となっています。しかし、言っておきますが、行われていることに比べれば、全然軽いものではありません。それを聖書と照らし合わせてみるのです。軽くはありません。血の誓いのことです。聞いていますか? 血の誓い。あくまで見せかけです。

もっと詳しくお話します。一例をあげます。これは、マスターメイソンや、3階級になる前に言うことの一例です。こう言って、フリーメイソンの秘密を守ることを血の誓いで誓うのです。これはほんの一部です。

「己を縛るということは、己の体を二つに切断されるということに勝るとも劣らない罰である。私の腸はそこから取り出され、灰に焼かれた。」

これは血の誓いです。これは軽い誓いです。神の御言葉は、私たちに警告し、いかなる種類の誓いもしてはならないと教えています。マタイの福音書5章34節から37節に書かれています。お読みします。イエスが語っておられます。

マタイ 5

34しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。天にかけて誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。

35地にかけて誓ってもいけません。そこは神の足台だからです。エルサレムにかけて誓ってもいけません。そこは偉大な王の都だからです。

36自分の頭にかけて誓ってもいけません。あなたは髪の毛一本さえ白くも黒くもできないのですから。

37あなたがたの言うことばは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』としなさい。…

よくお聞きください。

...それ以上のことは悪い者から出ているのです。

「はい」、「いいえ」以上のものはすべて悪魔のものです。他に何か言うべきことはありますか? イエスと議論したいのなら、あなたは負けるでしょう。神の御言葉は、ここにはっきりと現れています。全く曖昧さがありません。そしてまた、私がこの秩序の中で行った、とても悪魔的な儀式や行為がたくさんります。実際、聖書に「すべての罪びとは、聖霊を冒涜し、聖なる御言葉と、真の生ける神、聖なるお方を拒絶すること以外は赦される」と書かれていなければ、私たちはみな地獄に落ちることでしょう。それだけ深刻な問題なのです。少なくとも私にとっては。ご辛抱ください。この問題を話すために、主が私の心を整えてくださるのに10年以上かかりました。私は欺かれていたからです。これには、大きなレベルの欺きがあることを知っておいてください。言い訳ではなく、せめて少しでも理解を得られるように。

では、少し聞いてください。このような状況の中、私たちは非常に強い聖書的な影響を受けて入会しました。本当に強いのです。もちろん、これが最大の魅力でした。私は心から主を探し求めていて…どうなったと思います? 聖書に対する姿勢は正当なものだと思えました。儀式前は、全て聖書の話でした。毎日、毎晩、聖書を読んでいます。特に旧約聖書、今の教会ではほとんど語られていない部分です。私がどう感じたか考えてみてください。聖書の課題、宿題が出ます。時には、書まるごと読むこともあります。この書を読むのに1週間かけます。書き留めて、何を学んだのか、クイズが出されます。訓練セッション。私たちは長いメイソンの教義を暗唱していました。その多くは聖書から派生したものですが、やがて私たちは、大きく捻じ曲げられていることを発見することになります。私にとっては、その当時は、神の御言葉に慣れ親しんでおらず、本当に神の御顔を求め、自分よりも大きな何かを探していたのです。

ああ、フリーメイソンだったのか… さらに悪いことに、そのロッジに夕食に招待された時のことです。壁には、そのロッジに所属する多くの人々の写真が飾られていました。そして、この名声の壁に近づくと、私の指揮下の高官や役人が大勢いるのに気づきました。壁に飾られているのです。私は、「あぁ、あれは○○隊長だ」と。「これは○○だ。」「あの部隊の副司令官だ。」安心感があります。ああ、これは本物なんだ、という感じです。この人たちなら分かっているだろう、と。安全だと思ったのです。ロッジに連れて来て下さった神に、素直に感謝したくらいです。今でもそうですが、理由は違います。もし私が無知をさらけ出すことで、あなたが私に違和感を覚えるなら、主があなたを祝福し、あなたを守り、あなたの上に御顔を輝かせてくださいますよう、祈ります。決して自慢できることではありません。クリスチャンが自分の恥を誇りに思うでしょうか? しかし、私の恥が他人の恥を防ぐために使われ、その過程で神の栄光を示すことができるのであれば、それはそれでよいのです。

それでは、お話ししましょう。ここで、いくつかの問題点を指摘させてください。私は一旦立ち止まって、全部自分で調べればよかったのです。しかし、木を見て森を見ずだったのです。メイソンの最初の危険信号は、神の普遍的な父性を信じていることです。この「神はすべての宗教の神である」という考え方です。

これは、共存の考え方です。これはどういうことか、引用します。

イスラム教徒、ヒンズー教徒、モルモン教徒、仏教徒ユダヤ教徒キリスト教徒を引き合いに出して、すべての人間は神の霊的子であると教えている。」

だから、最初は聖書をすべての土台として活用しながらも、しばらくするとあらゆる宗教を紹介するのです。それをメイソンで調和させるのです。いいですか? 注目してください。ユダヤ人もフリーメイソンの仲間です。あれは赤信号に赤信号を重ねるべきでした。なぜでしょう? 考えてみてください。私たちは、欽定訳聖書から教えを受けるようにと言われています。しかし、正統派ユダヤ教徒新約聖書を信じていません。彼らはイエスをメシア(救い主)として否定しています。後悔先に立たず、です。何かが足りない、いや、誰かが足りないということを明確に物語っていたはずです。実際、32階級、アルバート・マッキー博士は、こう言っています。引用。

「神は、寺院にいる敬虔なヒンズー教徒、シナゴーグにいるユダヤ教徒、モスクにいるイスラム教徒、そして教会にいるキリスト教徒にも等しく存在するのである。」引用終了。

彼らは、すべての人が神の子であると信じています。さて、聖書と照らし合わせてみると、これはあらゆる点で誤りであることがはっきりと分かります。真の生ける神の子となる方法はただ一つです。ヨハネ福音書1章12節に書かれています。お読みします。

ヨハネ 1

12しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。

その名とは、イエスの御名です。全人類の贖い主であるイエスだけを信じると、誰でもベネ・エロヒム、神の子となることができる、というものです。私たちの神は、聖書という一つの御言葉をお持ちです。

エスを通しての永遠の命の贈り物、救いそのものを与えてくださる唯一の方法です。神は複数の宗教の神でもなければ、フリーメイソンの神でもありません。要するに、聖書はメイソンの誘い文句として使われているのです。クリスチャンと名乗る人たちは、このことを前もって知っておく必要があります。私のように騙されないように。最初はすべて聖書的ですが、すぐに変わるのです。受け流さないでください。事実、彼らが信じることは彼らの信じることであり、彼らの教団の一員であることは、あなたも彼らの教団の信者であることを意味するのです。彼らは自分たちなりの宗教を持っているのです。実際にマンリー・P・ホール、プリンス・ホール、メイソン。聞いたことありますよね? 33階級メイソンの言葉です。引用します。

「真のメイソンは信条に縛られない。彼は、ロッジの神聖な光によって、メイソンである自分の宗教が普遍的なものでなければならないことを悟る。」

繰り返しますが、これは上位階級からのものです。そして、下位階級の者はこれを押し付けられはしませんが、これから本格的になっていきます。私が見た2つ目の赤信号は、彼らが創造主を誰だと、どのように呼んでいるかということです。彼らは、創造主を宇宙の偉大な設計者と呼びます。これはメイソンのテーマに沿っているのですが、それだけではありません。これは一見悪くないように思えますが、しかし聖書のどこにも、神が宇宙の偉大な設計者であるとは書かれていません。神は万物の創造主であるのに、どうして私たちは神を偉大な設計者としか見ることができないのでしょう。こんにちは、あちこちに設計者がいますね。中には素晴らしい者もあります。しかし、私たちの創造主は一人しかいません。繰り返しますが、神は単なる宇宙の偉大な設計者ではないのです。そう話すと、とても素晴らしい響きになるんです。私たちはロッジの中にいて、今まで聞いたことのない話です。そして、とても男らしい声の人がいます。

「ようこそ。我々は宇宙の偉大な設計者に仕える者として...」「おぉ...宇宙の偉大な設計者...!」みたいな感じです。それは誰ですか? あるメイソンにとっては小さいことかもしれません。実際、ジョン・カルヴァンは、神を宇宙の偉大な設計者と呼んだことが何度かあると指摘されています。だからといって、彼が正しいとは限らないです。実際、もし彼がそうやって神を表現したのなら、それは間違いです。以上。

神は人間と同じ次元に置かれるものではありません。神の御名をもてあそんで、自分を何者だと思っているのか? 私たちは、無知な悪魔のような思考からではなく、神の聖なる御言葉の中で呼ばれていることを言及すべきであると知っておいてください。

ところで、これらのことはすべて、ニューエイジの方向に舵を切っています。ですから、フリーメイソンの世界では、真の生ける神以外のあらゆる神が、うまく適合しているのです。考えてください。聖書に書かれていない神の名を呼ぶことは、他の神々の名を本物として受け入れる扉を開くことになるのです。皆さんついて来ていますか? そうすると、普遍主義の手にかかることになります。それがフリーメイソンニューエイジにあるものです。同じものなのです。彼らは現在のこの世の神、悪魔に仕えているのです。名は重要です。そして、神の御前に、他の神々を持ってはなりません。さて、神と呼ばれるものに関して、これで十分でないなら、フリーメイソンでは、ロイヤルアーチ階級の権利の中で、階級が上がるにつれて、神の別の呼び名が使われます。その神の名はJah-Bul-On/ジャブロンです。これは、次のことばを組み合わせたものです。

聖書の名、Jehovah/エホバを指すJah/ジャという言葉、Bulは、アッシリアの神Baal/バアルを指す言葉、Onは、エジプトの太陽の神に関する言葉であり、エジプトにある太陽神の聖なる都市の名であり、聖典の中ではベトシェメシュとも呼ばれています。それがOn/オンです。実は、ヨセフの義理の父は、エジプトでオンの祭司をしていました。創世記41章45節に記されています。メイソンが神をどう見ているかということに関して、何が起こっているのかわかりますか? これが見えますか? 続けて、異教徒の神を混ぜたジャブオンと呼ぶようになるのです。クリスチャンとして、これは神への冒涜であることを明確に認識すべきです。言葉のあらゆる意味で。その一員であり続けたいと思いますか? イザヤ書48章11節に書かれています。お読みします。

イザヤ 48

11わたしのため、わたしのために、わたしはこれを行う。どうしてわたしの名が汚されてよかろうか。わたしの栄光を、ほかの者に与えはしない。

ジャブロン。それが高い階級にあると理解していますが、しかし、メイソンに携わっていた者がそれを知るために、高い階級に進んで待つ必要はないのです。これが事実なのです。メイソンのどの階級であろうと、立ち止まって、一歩踏みとどまって、このことについて考えるべきです。悪くなる一方です。聖霊が彼らの嘘を見抜かせてくださるよう祈ります。この名があなたを動かすのに十分でないのなら、特定のロッジのリーダーの名前を考えてください。その名は、Worshipful Master/崇拝すべきマスター

この名前に問題があると思う人はいますか? さて、その人を崇拝すべきマスターと呼んでいることが信じられませんでした。実は、これがメイソンへの私の初めての挑戦でした。私は、「おいおい、なんでこの人を崇拝すべきマスターと呼ぶんだい?」そして、クリスチャンと名乗る人と話していました。

彼は「いや、ただの称号だよ、意味なんてないさ。君は軍に所属しているんでしょ?」

私は、「うん...」「まあ、彼をマスターチーフとマスター軍曹と呼んでいるようなものだよ。」

実際、崇拝すべきマスターといつも呼ばなくて良いように、あだ名をつけてしまうのです。

「ワーシュ」と呼ぶのです。「やぁ、ワーシュ、どうしたんだい?」マジですよ。それくらい緩くなったんですよ。なんてことないでしょ? 違います。いいえ、それは問題です。軽視されていました。良いですか? 私はただそれに従いました。そうすべきではありませんでした。なぜなら、マスターチーフであることは、それだけのことです。軍曹のマスターであることは、また別の話です。マスターシェフであることも、また別の話。しかし、崇拝すべきマスターと呼ばれるのは、それとは違います。クリスチャンとして、私たちは真の生ける神にのみ礼拝を捧げなければならないのです。当然といえば当然なのですが、そうではなかったのです。神以外の何者も崇拝してはなりません。そして、クリスチャンを名乗るメイソンが、このような教えに関して悩むのには理由があります。なぜなら、彼らは結局、ロッジにいる時間の

ほとんどを、主に仕える代わりに、ロッジに仕えているという事実と格闘しなければならないからです。

そして中に入り込んでいる間は、とても無邪気なように見えます。しかし、そうではありません。それはすべて、真の生ける神の御心の中に人をとどまらせないための、目くらましです。マタイの福音書6章24節に書かれています。お読みします。

マタイ 6

24だれも二人の主人に仕えることはできません。...

ここで止めます。

...一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません。

ここにお金が絡んでいないと思ったら大間違いです。メイソンには、たくさんのお金が関与しています。数え切れないほどの募金活動で、皆の時間が奪われそうになりました。それはすべて、メイソンロッジの奉仕のためです。週末は募金活動に専念。これからお話しするように、私たちがこれに投じるお金は言うまでもありません。これは別の主人に仕えることです。これらのすべての活動において、クリスチャンはイエスから完全に離れてしまいます。実際、クリスチャンを名乗るメイソンの多くは、教会に行かなくなりました。彼らは、ロッジに行って学ぶことを好みます。もしフリーメイソンがこれらの役職を単なる肩書き、単なる階級、あるいは何らかの偉大な友愛の中でのものだと信じているならば、それは全く違います。判断はあなたに任せます。というのも、最初の3階級の入会プロセスでは、他にもいくつかのすることや言うことがあり、ある人は、すぐにメイソンの階級を取得します。

さて、1階級では「従弟」と呼ばれます。握手や合言葉、構え方、その他の手のシンボル、予備的なもの、様々な聖書の箇所なども学びます。聖書の箇所を暗記するということです。その多くは、先ほども言ったように、旧約聖書の中にあります。そして、秘密の知識を得ると言われています。メイソンになったとき、私たちは秘密として守ることを課せられます。神については常に語られます。だから、最初のうちはとんでもないことが出てくることありません。入会式が始まるまでは。すべての入会者がこの外側の部屋に

連れてこられ、そして崇拝すべきマスターに会う準備が整います。もしご希望であれば、ナショナルジオグラフィックで、このすべてが完全に再現されているのを見ることができます。フリーメイソンに関する軽快なドキュメンタリーをやっていました。そのような儀式の一部を捉えたのです。しかし、表に出てこないのは、私たちがこれに投入するお金です。恥ずかしいことです。これらはすべて、ある種のクラブ会費のようなものとして、自ら支払っているものなのです。資金調達は別です。お金を払って入会手続きをするのです。それ自体が異様なのです。なぜなら、その過程では目隠しをされているからです。そして、私たち全員を繋ぎ合わせます。ケーブルトウと呼ばれるものですが、みんなの首にかける縄なのです。

黒人としては、首に何かかけられたと思ったら、すぐに逃げ出すべきでしたが、しかし、違います。そのためにお金を払ったのです。そして、この崇拝すべきマスターと幹部が待機しているこの外扉に引き出されます。基本的に次のように言うように指示されます。

「私は闇の中で迷っています。そして、フリーメイソンの光を求めているのです。」

さて、目の前に聖書があり、その光は聖書から来るように思わせているのです。でも、それは全く真実ではありません。ここに書かれていることは、まさに彼らの意図するところです。あなたはフリーメイソンの光を求めていて、それは彼らがあなたに与えようとしているものです。全く光ではありません。光を反射する輝くものでありながら、闇でいっぱいです。第一ヨハネの手紙1章5節から7節に書かれています。お読みします。

ヨハネ 1

5私たちはキリストから聞き、あなたがたに伝える使信は、神は光であり、神には闇が全くないということです。

6もし私たちが、神と交わりがあると言いながら、闇の中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであり、真理を行っていません。

7もし私たちが、神の光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。

真の生ける神が与えてくださる光以外に、光はないのです。神は光です。神は光の中におられます。神が光であられるからです。そして、このすべてに、イエス・キリストがいないことにお気づきでしょうか?

世の光であるイエスは一切出てきません。意図的なものです。これがユダヤ人がフリーメイソンに不快感を抱かない理由です。聖書からイエスの名が削除されているからです。渡された本の中に、私たちが

「小さな黒い本」と呼ぶものがあり、そこには聖書の御言葉がずらりと並んでいます。普通ならイエスの名がある箇所なのに、イエスの名が取り除かれているのです。取り出されています。削除され、聖句を捻じ曲げているのです。それが学ぶべき教義となります。そして、その霊的な意味は、クリスチャンにとってとてつもなく大きなものです。2階級、3階級も、良くありません。2階級は「職人」と呼ばれます。そして3階級は、「親方/マスターメイソン」になります。この中にはたくさんのものが含まれています。

何度か学んでもいいのですが、ご自身で調べる必要があります。この次の2階級の間に、さらに多くの資金が集められ、捧げられます。多くのです。暗唱して覚えなければならない、渡された原稿も増えました。しかも大量に。何ヶ月もかけて、あらゆる種類の秘密のフレーズやパスコードのサイン、握手などを学びますが、それらはすべて神を冒涜するものです。しかし、マスターメイソンの入会式で、私にとってすべてが変わりました。「引き上げられる(昇級)」と呼びます。儀式なのです。私にとっては、イエス・キリストの復活を嘲るようなものです。クリスチャンとして、今まで経験したことのない最悪の出来事です。全ては話せません、時間がないので。こんな感じです。物語はソロモンの神殿を中心に展開されます。聖書には、神殿を建てるためにやってきた建築家たちのことが書かれています。ある男の名は、タイアのハイラムだったと思います。この人を中心に物語を捏造するのです。ハイラム・アビフと呼ばれています。彼は、神殿の設計図や計画書を持っている人でした。よく知られ、よく尊敬されています。そして、彼らに嫉妬する3人の人物がいました。そして、私たちは目隠しをされたまま、何をされるのか。この板の上を歩くと、地面からの高さが高くなっていることに気づくでしょう。誰かがやってきて、あなたを掴み、設計図をくれと言うのです。彼らが言う言葉は決まっていて、計画の秘密を守るために何も言ってはいけないことになっています。そして、そのまま移動して、次の人が出てきます。殴られたりするかもしれないし、図面を渡されて、ちょっと乱暴にされても、何も言いません。最後のステップを踏んで、そこに上がり、 「設計図を渡せ。」と言われても、何も言いません。今度はこの男があなたを神殿から投げ落とします。建設中の部分です。そしてあなたは倒れ、捕まえられますが、倒れたままにされます。ここからが本題です。そして、このようなスピーチやその他もろもろをこなしていきます。あなたは今、死後硬直状態で、あなたを殺した人たちに覆われていた手が、土からむき出しになっているのです。そして、彼らが寄ってきて、あなたの手をつかむのですが、その時、彼らは十分に強く手をつかみません。ですから、あなたは寝たままです。これを三度行い、三度目に彼らはあなたを死からよみがえらせます。そこで、あなたはマスターメイソンになります。その時でした。あの後、私は家に帰ったのです。私は吐きました。非常に気分が悪いのです。妻に何が起きたか説明しました。数週間、私は色々なものを見ました。それは恐ろしいものでした。その後、3回ほどロッジに通いましたが、最後はすべてを投げ捨て、御言葉に基づいて彼らに挑みました。誰も来ませんでした。彼らは、シアトル・ロッジのグランド・マスターを連れてきて、話を聞くと言いました。彼は来ませんでした。その時点で、二度と欺かれることのないようにと、主に祈りました。またその時、主はすべてのガラクタを通して、もっと大きなことのために私の心を整えておられることを明らかにされたのです。すでに聖書の学びモードに入ってましたが、もっと読むことに拍車がかかったのです。私は、毎日神の御顔にとどまりました。もう二度と騙されないために。私の悪魔に対する憎しみは、…あぁ、激しいものです。人生でこんなに葛藤したことはありませんでしたが、すべてに関して主がしてくださったことであり、主をほめたたえます。

後日、ある男性から連絡がありました。Linkedln(SNS)から。彼はこう言います。

「そういえば、君はメイソンはイエスについて語らないと言っていたね。テンプル騎士団を見てほしい。」

テンプル騎士団はイエスについて語っていますが、別のイエスです。ジャブロンのもとで、イエスの名を唱えます。ですから、「ありがたいけど、結構です!」実際、テンプル騎士団では、集会をするとき、自分たちのことを「I am that I am/わたしはある」と呼びます。(出エジプト3:14参照)

本物の "わたし"が、あなたに対応されます。私は嬉しいです。フリーメイソン達は、イエス・キリストが救いに至る唯一の道であることを教えられていません。別のイエスを教えています。実際、書物にあるように、希望と行いと慈善によって、自分たちの救いを実現することができると言われています。イエス・キリストの福音は、フリーメイソンの組織の中にはどこにも見当たりません。また、マッキーが様々な会合やイベントで大役を務める人たちに読ませる28の祈りのうち、イエスの御名で終わる祈りは一つもないことも非常に興味深いです。実際、イエスはせいぜい小さい神だ思われています。これは氷山の一角に過ぎません。結局、彼らはこの世の神に仕えているのです。グノーシス主義を含むあらゆる宗教的宗派の中で、人間のあらゆる感覚に訴えかけることによって、フリーメイソンという説得力のある宗教を、最も巧妙な方法で構築した悪魔に仕えているのです。控えめに言っても、非常に巧妙です。こうして、ジェシー・ジャクソンのような人が33階級メイソンになることもあり得るのです。ジェシー・ジャクソン牧師。政府の上層部には、自分はクリスチャンだと言っている人が、メイソンであることも多いことを知っておいてください。私はジェシー・ジャクソンだけを取り上げるわけではありません。あなたが知っているだけで過去にいくらでもあります。初期の人はもちろん、

ジョージ・ワシントン、ジョン・ハンコックとか、皆さん聞いたことありますよね。

フレデリックルーズベルトも、ジョン・ウェインもそうでした。

カウント・ベイシーマーク・トウェインも。

挙げればきりがありません。考えてみてください。彼らの集会はすべて夜、闇にまぎれて行われ、秘密の知識を持っていると主張する。それは、その秩序の中でしか得られないものです。クリスチャンは気を付けてください。警告されています。神のことを真剣に考え、この組織や、何らかの知識、光、あれやこれやと主張する組織をよく調べてみることをお勧めします。ヨハネ福音書18章19節から20節に書かれています。お読みします。

ヨハネ 18

19大祭司はイエスに、弟子たちのことや教えについて尋問した。

20イエスは彼に答えられた。「わたしは世に対して公然と話しました。いつでも、ユダヤ人がみな集まる会堂や宮で教えました。何も隠れて話してはいません。

密かに言われることは悪魔のものです。神はすべてをオープンに語っておられます。このメイソン・ロッジ、フリーメイソン、またはなんと呼んでもいいのですが、その一員の方々に勧めます。ロッジに仕えるのをやめてください。主に仕えてください。ロッジは、あなたが救われる道でも、より良い人間になるための道でもありません。もしあなたがクリスチャンなら、この言葉を聞いてくれるように祈ります。お立ちください、祈りましょう。

愛する天のお父さま、主よ、嘘に対抗してあなたの真理を聞くことができたことに感謝します。あなたの御言葉は、何があっても必ず勝ります。そこから私を救い出し、御言葉の真理を示し、その狂気を通して私を整え、今の私があることを本当に感謝しています。あなたがしてくださったことは、悪いことを益にしてくださったことです。あなたがけがお出来になることです。永遠に感謝します。

主よ、他の多くの人々が光のもとに来るようにと祈ります。あなたの御言葉の真理の光に。

主よ、私たちはあなたを愛し、あなたに感謝し、あなたにすべての誉れと賛美を捧げます。あなたに、永遠に栄光がありますように。偉大なるイエシュア、イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。